enjoy!

「楽しむ」って・・・「盛り上がる」というのとイコールなのでしょうか?

私の感性では「楽しむ」は「エンジョイ」に近いような気がするのです。

悲しい曲や映画を見聞きして感情移入して涙するのも「エンジョイ」

ロマンティックなものを見聞きして気分に浸るのも、私にとっては「エンジョイ」なんです。

難解なコンテンポラリージャズやクラッシックの現代曲を分析しながら聞くのも「エンジョイ」

ゆったりとした穏やかな音楽で癒されるのも「エンジョイ」etc.

「はしゃぐ」方向性より「エンジョイ」にベクトルを向けることにより、音楽の楽しみ方が幅広くなるように思えます。


理解ある俺の友人から、以前に頂いたメールの一文です。
上に書かれた事が俺の「エンジョイ」の基本的な的を捉えているので非常に共感できます。
楽しみ方は人それぞれ、皆さんももう一度、自分のエンジョイのベクトルが、どの場面で、何処へ向いているのか?
改めて見直してみるきっかけになれば幸いと思い、掲載させていただきました。
自分も多くの人と接する機会に恵まれ、エンジョイのベクトルがまた変わってきました。
れあサイト 冒頭文(3/20)

enloy!って、たとえばバグだらけの試作フリーソフトウェアの説明文の末尾に書かれてたりします。「いろいろ不具合に遭遇もするだろう。その原因を突き止めて、直して。そんなあれこれを、楽しんで味わって!」ってな意味が込められてる。


すべてからjoyを見出し、味わおうという姿勢・在り方。それがenjoy!だと言えるかも。

ここ2年出会っているキーワードと、このenjoy!、つながってますねぇ。


さて。みゅさんに関して言えば。enjoy!のなんたるかを、実に良く判っているのではないかなぁ。
たとえば「Thank You All」「孤独な住人」「ポルトマン最終章」の、あのセンス・感性。
おかしくもあり、哀しくもあり、切なくもあり、暖かくもあり。実に奥深く、味わい深い。


私はジャズにはくわしい・・・と言いながら、ホンキートンクピアノの味わいをenjoy!できない人も居る。
私はサルサばっちり・・・と言いながら、ステップに気を取られ、生の曲調をenjoy!できない人も居る。
くわしかったりばっちりだったり、自分の既存のイメージどおりであることを、大切にしてしまっているんだな。結果、生の今をenjoy!しそこねちゃう。
「考えるな、感じろ!」
言葉なんていう限界だらけの道具は、感じたものをなんとか分かち合うためにこそ、使う。
コンテンポラリージャズやクラシックの現代曲も、僕は、ピカソの絵や、モダンアート同様、まず直感でenjoy!するなぁ。分析や能書きは後からついてくる。能書きたれるのも、そりゃそれで楽しいですけれど、まずは生の今をenjoy!してこそ。


enjoy!しているか、否か。それは、その人が現に、なにを創造し、どう輝いているかでわかってしまう。なにを語っているかではなく。
enjoy!の達人は、「あれがああだったからenjoy出来なかった」・・・なんてことは言わない。
いつでも、どんなときにも、enjoy!は可能。


え?僕???まだ達人じゃぁないから、いつでも・・・じゃぁないなぁ(^^;
舞浜では95%の時間、生活全体だと70%の時間は、enjoy!してるかな、うん。


(3/21追記)
己の執着を笑っちゃうことが、enjoy!のコツだと想う。


美女・素敵な時間・音楽性・友情・幸福・なごやかさ・カッコよさ・お金・時間・ベストポジション・ベストショット・損得・評判・スカットルのスクーター・面白さ・・・といったあたりに、僕は執着しがち。


TDRで観察してると、無邪気さやはしゃぐことを抑圧してるひとが多いなぁ。「はしゃいではいけない」という固定観念への執着を、自分で笑えないんだね。まじで信じてる。
だから、現実を固定観念に近づけようと、あらゆる手を尽くす。痛々しいけどねぇ・・・ご当人はその喜劇性に気づかないんだな。


執着は決して悪いことじゃぁない。
その執着に気づき、笑ってしまえばね。


「このバグだらけのプログラム、何とか動かしてやれ!」と執着するから、そしてその執着を笑い、葛藤をenjoy!する余裕があるから、解決策が見出せる。


執着を抑圧してしまうこと。これが、諸悪の根源なんだな。視野を狭め、エネルギーを浪費し、未来を小さくしてしまう。
enjoy! こころを開き、ありのままを感じ、すべてを愛し、より素敵な未来を創造しちゃおう(^^)