言葉の力

私、公開の掲示板で、ズバッとした書き込みをして驚かれることがよくあります。
でも、相手の力量と状態を吟味して、受け取れる強さで、効果的なコースに球を投げてるんですよ。


これが、親友に対してだと、この程度の剛速球は投げます。

内輪の掲示板みたいなところを読んでいました。

親御さんから、生まれてこの方ほとんど、「出来ない人」として扱われ、それに反発して自立する・・・というスタイルで、○○さんのご兄弟は育ってこられたように観えます。
悪くは無いです。ただ、自立の仕方が、すこーし歪んでしまう。お姉さんは反発ベース、お兄さんは妥協ベース、○○さんは内緒ベース。それぞれ、しんどい思いをされているように感じます。
親から信頼され、認められてうれしかった。そんな体験が、○○さんにもあると想う。
放任されているのではなく、過干渉されるのでもなく、信頼され、自主性を尊重され、見守られた体験が。
思い当たるような体験がありますか?>○○さん

これはある人が妻へ書いた物として”あーーなるほどねー”っという感じで読んでいましたが、何度も何度も読み返していくうちになぜだか涙が、、、、
妻への問いとしてみていたものが、いつの間にか自分への問いへ変わっていたのです。
So-net blog:生れ変わった男:人の成長の仕方って (4)

実は、奥さん以上に、彼にこのメッセージを受け取って欲しかった。
ただ、そのためには、彼自身を題材にしたのでは
「そうかなぁ、そういう考え方も在るかなぁ・・・」でおしまい。
彼のそばに居る奥さんを題材にすれば、それが彼女にどんなしんどさを引き起こしているか、どれだけ影響を及ぼしているか、客観的かつリアルに感じるはず。まもなく「そういえば自分も」と気づくと読んだのです。
結果は、読みどおり。


親友なら、そこまで読みきれる。フォローも自在に出来る。だから、かなり思い切ったことを言い切ってしまいます。


言葉なんて、とっても制約のある道具。真実なんて、言葉では表しきれないような気がします。
と同時に、ものすごくパワフル。思い込みを作り上げ、自分を自分でがんじがらめに縛ってしまうことも、それを解き放つことも出来る。不安をあおることも、夢を現実にすることも出来る。


どんな意図で、どんな言葉を、どう吟味して使うか。
永遠の課題かもしれません。と同時に、少し意を払うだけで、大きな効果が出ます。


言葉をルーズに使う人は、言葉に支配されてしまう。
言葉を厳密に使う人は、言葉を創造の道具にする。
・・・そうも言えるのかもしれませんね。