わがままと博愛

わがままを極めると博愛につながる。そのメカニズムは・・・


わがままを極める
→自分の欲求に厳密になる
→自分が求めているものを深く知る・自分の心が感じていることに正直になる
→感性が鋭敏になる http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20041107#p4
→起きている事が、深く、広く、ありのままに見える
→より広い範囲に、深く、好ましい影響を与えたくなる
→より広い対象が、より深く、いとおしくなる
→博愛


博愛って、「ねばならない」からするものではない。
愛を広げたほうが、より気持ちいいから、より幸せだから、より楽しいから、人は自然と博愛に向かう。水が上から下に流れるように。
その流れを邪魔するのは、刷り込まれた思い違いだけ。「愛してばかりいると、損をする。自分の愛が枯れてしまう」・・・そんな思い込みが、愛の流れをダムのように堰き止める。他人の愛を、自分のダムにひたすら引き込もうとする。よどんで腐ってしまうのに・・・いつしか、自分の愛が湧き出すことを止めていたりして。「ほら、やっぱり枯れた」・・・そうじゃないよ、自分で止めちゃっただけ。
本当は、愛することが気持ちいいから、愛する。愛が広く深くなるほど、愛は滾々と湧き出でる。新鮮に、清冽に、日々新しく、日々美しく。


こういう言い方も出来る。
人間の行動はすべて、実はわがまま。
なぜなら、その行動を選択するのは、最終的には自分。
選択に当たっては、なにかしらの価値判断をしている。なにか、よりましと自分が想えることをかなえるべく。たとえば・・・

実現くん: 感覚をオープンにしつつ研ぎ澄ます方法 http://www.jitsugenkun.com/archives/000073.html
わがままになる事による周りの人との葛藤を恐れないで下さい。

「周りの人との葛藤が恐いから、わがままを抑圧する」・・・というのも、結局、「周囲との葛藤を避けたい」という「わがまま」をかなえようとしているわけです。
(「わがまま=悪」という思い込みを持ち、そこで判断停止してる人は、この文章読むと混乱するはず。頭が痛くなるかも(^^))


この選択は自分の「わがまま」なのだ・・・としたら、自分は状況をどう捉え、なにを大切にしたいのだろう。
そう問い続けることで、自分の現況認識と、価値観が、どんどんはっきりしてくる。