「結果を生きる」ことの、メリット・デメリット
「結果を生きる人」・・・「自分がなにを創り出すか」よりも「他人からどう見られるか」を優先してしまっている人との会話は、正直、とてもつまらない。
「おまえは俺のことをどう見てるんだ?・・・こんなふうに見てるのか?あんなふうに見てるのか?・・・そんな風に見るなよ、俺の目に付くところでそんなこと言うなよ、そのせいで俺はこんなに不愉快だった」という話題に終始するから。
気の毒だとは思うし、つい、そこから抜け出すヒントを差し上げようとは務めるけれど、退屈だ。
ここまでは僕の感想。
そして今から書くことは、僕の信念ではなく、「水は高いところから低いところに流れる」というのとおなじ、自然法則。
- 以下は、踊る人>踊らない人 というお話ではないよ。
- 「踊らされてる人」は、現象としては踊っていても、所詮「結果を生きる人」。
- 一方、「今は踊らないほうが素敵」と観て踊らない人は、「原因を生きる人」。
・・・「なにをやるか」ではなく、「どういう在り方でやってるか」が、
「踊るか・踊らないか」ではなく、「どういう在り方で踊ってるか・踊らないか」が、結果に影響する。
- 「自分がなにを創り出すか」よりも「他人からどう見られるか」を優先することが、どんどん進行すると・・・
- メリット
- 自分の中の葛藤を、外部化できる。
- 「僕はこうしたい、でも、ああもしたい」・・・という内面の葛藤を、「Aさんはああして欲しそう。でも、Bさんはこうして欲しいといってる」・・・という風に置換。
- 「こういう結果より、ああいう結果のほうが僕には大切」・・・という価値判断を、「Aさんより、Bさんのほうが感じが良い」・・・という人間関係に置換。
- 自分の中の葛藤を、外部化できる。
- デメリット
- 「他人からどう見られるか」って、実は制御できない。しかも推測に頼らざるを得ない。制御できないものを制御しようとしてしまうから、ストレスが溜まる。推測が基準だから、いつも不安感が底に在る。
- 自分の率直な気持ち、想いに、蓋をすることが多くなる。
- 「自分がなにをしたいのか」がだんだん見えなくなってくる。自己実現欲求が満たされにくい。熱い喜びを感じる機会がない。
- 結果、ノイローゼになりやすい。
- または、現実を自分の気に入るように歪めて認識してしまう。
- 生じる特性
- とてもわがままになる。他人に不快感を与えないことではなく、自分が不快感を感じないことを優先しているから。他人から非難されるのが嫌なだけ。非難しない相手への不快感は、アウトオブ眼中。
- 人間関係と行動が直結する。
- 感じがよい人(実は自分内部の価値判断に近い人)を、次第に「身内」と意識し、グループ化したがる。
- 身内とそれ以外とで、応対ががらっと変わる。
- 自分とまったく価値判断が同じ人なんて居ない。身内と認識した人と、重大な案件で価値判断が相違することも必ずある。なのにそのとき、自分のアイデンティティが崩れさるような不安感が生じ、人間関係が危機を迎える。
- メリット
さて、ここから先は、私の体験談と、想いです。
どんな生き方を選ぶか、決定出来るのは各個人。
「結果を生きる」ことが、悪いわけではない。メリットもある。ただ、子供のうちはともかく、大人になってからはかなりデメリットが大。
僕自身の経験からも、「原因を生きる」方がお勧めできる。
「不快だと言われないように」行動を決めるのと、「不快感を与えないように・できれば楽しんでもらえるように」行動を決めるのとでは、たとえおなじ「踊らない」という行動を選択したとしても、いろんな結果が違ってくる。まず自分の内面で、そして、周囲に。
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- スローライフと老子哲学 http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040906#p1 ・・・「他人の目が気になる」人は、実は「自分の表面的な欲望しか見ない」人よりもずっと、老子の説く「道」を会得するのに近いかもしれません。
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- 私の音叉:正義とJustice http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040723#p1 ・・・「身内」を拡大する・「神」を身体感覚にひきつける。どちらもたぶん、ゴールは同じ。
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