ジャンヌ・ダルク

途中から観る。
神のお告げなんて、自分が観たいものを観たいように観ていただけ・・・そうだったのかもしれない。
それが内なる衝動だったとしても、あまりにも強く突き動かされ、結果、たくさんの人々がしたがい、奇跡のような結果を得た。
・・・っていうことは、経験や常識とはかけ離れていても、「ことわり(理)」に沿っていたのだろう。その「ことわり」って「神」という概念と、ほぼ同じような気がするなぁ。
やがて挫折し、頓挫する。時の利が彼女から離れてしまう。キリストも、そうであるかのように僕には見える。どう折り合いを付ければいいのだろう・・・。
「神の声は教会を通してしか聞いてはいけないもの」だった中世と違い、「ひとりひとりが自分の内なる神の声を聞く」ようになった現代。どうアンテナを立て、どう身を運ぶかも自分で決めねばならない。ジャンヌやキリストの苦悩を、我々もささやかながら経験することになるわけか・・・・・。
仏陀は妻と子供を捨てたわけだが、最後は一族郎党、みな出家して同じ道を歩んだ。長生きもした。迫害されて早世するひとと、対極にあるように見える・・・なにが違うのだろう。


しっかし、ミラ・ジョヴォヴィッチってかわいいなぁ(^^)