生理的嫌悪感

この感情は、本来は「身体に悪そう」と感じたときに発生する。
そして、「固定観念を崩されそう」と感じたときにも発生することがある・・・心の声が聞こえてなくて、「自己正当化しないと、自我が危機を迎える」と思い込んでるときに。


「魂に悪そう」と感じたときには、僕は生理的嫌悪感は覚えない。対象が内包する痛みやゆがみに共鳴して、つらさや悲しさや寂しさやあわれみを感じることが多いように想う。心の声が聞こえているときって、赦しがベースにあるからなんだろうなぁ。
そして、感謝がベースにあるときには、「魂に悪そう」なものなんて実はない・・・ってことがわかる。みな、何かしらの意味と役割があって存在しているってことがわかる。どうやらそうらしい。ここが腑に落ちると、前項に書いたことが実現するんだろうなぁ(^^)


その手前。まだ物事がはっきり見えてないときは、「なんか変だ」「におう」「やな感じがする」「寒い」・・・といった感覚で知覚される。身体に悪そうなときも、観念を崩されそうなときも、魂に悪そうなときも。この段階では、まだ3つのどれなのか区別つかないよなぁ。
で、身体と魂は大切にすればいいんだけれど、観念はおおむね崩したほうがよかったりする(^^)
違和感が生理的嫌悪感にまで高まって、でも身体に悪くなさそうなときは、自分の心に深く問うと発見がある。