洗脳を脱し(^^)、自分の目で、ありのままを見よう。心の声を聞こう。(仮タイトル)

HPO:個人的な意見 ココログ版: ぼくたちは本当に負け犬なのか?http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/07/loser.htmlを読んで

  • 太平洋戦争の敗因

私の母は「多くの日本人が信じている宗教がある。それは"世間様教"」と、言っていました。http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040624#p1で少し触れています。

世間様教信者の特徴は「責められないために生きる」こと。

この特質って、順調に機能しているものの欠陥を綿密につぶし、無欠陥に近づくには、とっても役立ちます。
でも、情勢が変化し、枠組みのシフトが必要なときには、ぜんぜん駄目。大きな失敗の可能性を恐れて、確実に小さく失敗することを選んでしまう・・・「全力を尽くしたけれど、しかたないね」と言って貰う為に。

「決戦」といいながら、常に戦力を小出しにしていた。

開戦を決定する御前会議で、出席者の誰一人として、勝つための戦略を持っていなかったにもかかわらず(これって、言い換えれば、全員「俺は負けると判断していた」ってことですよね)、開戦が決定した・・・と聞きます。「君が持っている情報と知恵からみて、この戦いは勝てるか・負けるか」というあからさまな問いを、誰もしなかった。
ここにはじまり、太平洋戦争の言われている敗因すべて、「世間様教」に帰結できるかも。ぼくはそう想っています。

  • 「勝ち」=「価値」か?

勝ち・負けが生じるとき、それはゲーム。そこには必ずルールが存在します。意識してなくても。
「俺は勝った」・・・それは誰に対して、どんなゲームで、どんなルールで?

「勝っている!!」と思っていても、
最後の最期で「あ〜負けちゃった」と思う人もいれば、
「負けてるな〜(涙)」と思っていたとしても、
最後の最期で「よっしゃ!勝った!」と思う人もいると思います。

そう!!!いつでも、どんな状態でも、自分の中で、対戦相手とゲームとルールとをセットすれば、勝てるし、負けられる。
なんで勝ったと思いたいの?なんで負けたと思いたいの?・・・実はそこが重要。


たいていの自己探求セミナーの初級コースに、勝ち負けに関してどんな固定観念を持っているかを浮き彫りにする、絶妙なグループ実習があるようです。
勝ち負けへの思い込みは、人によっていろいろ。そして、たいてい人生を縛っていますね・・・。僕にとっても、大きなインパクトがありました。http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040529#p1
・・・とはいえ、そこで体験した「Win-Winの関係」という概念は、以後16年でずいぶんポピュラーになりました。「生態系」「共生」「持続可能な成長」といった概念も、学問の世界から、国際規格や生活レベルにまで、浸透しつつある。

    • 職場の研修でのグループワーク体験

数チームに分かれて、勝ち負けを競うゲームをしました。
ルールが複雑で、状況はどんどん進行します。

わがチームは、いち早く、確実な勝ち方を理解しました。それは「ほかのチームの出方を観て、そのまねをする。決して自分からは動かない。」・・・というものでした(^^;;;。

その戦略を徹底した結果、わがチームは勝利。勝った瞬間、反射的に嬉しかった・・・と同時に、いやぁな気分になりました。

その時、僕が学んだこと。

      • 勝者には勝ったなりの理由が、敗者には負けたなりの理由がある。

わがチームは、現況把握担当と、ルール分析担当を明確にし、安心して分析に没頭させることで、短時間で勝ち方を見出すことが出来た。

      • 勝ったからといって、立派だとは限らない。負けたからといって、惨めだとは限らない

勝ったのに、気分は惨めでした(^^;;;。
むしろ、自分から動けば不利になることが観えてたのに、動いてくれたチームのほうが、いさぎよかった・・・敗者のほうが誇らしげでした(^^)

  • 「勝ち」はいいこと「負け」はわるいこと・・・という洗脳

私はつい、「勝ちはいい、負けはわるい」と意味付けてしまう。たとえば・・・
「負け犬」って言葉を侮蔑的に感じたり。
「勝ち組」「負け組」という言葉を、本来の語義から遠く離れて、「勝ち組」があたかもいい事であるかのように使ったり。

    • 負け犬って悪いのかな?
    • 「勝ち組」って、「日本は戦争に勝った」と強弁したいがために、事実をありのままに見てた「負け組」の人たちを弾圧したんだよ(キーワードリンクの解説をお読みください)。

「勝っていたい」というのは、マッチョ崇拝と根が同じだから、弾圧しちゃったんだろうなぁ・・・。

「勝った」「負けた」と思ったときは、「だれに、どんなゲームで、どんなルールで、なぜ?・・・そこにどんな意味を感じる?それって本当に望んでいるものかい?」と自分に問うと、観えてくるものがあるかも。かつて僕が「みんなが間違ってても、俺は正しい」と思い込みたがってることに気づいたように。

  • 人生が僕になにを望んでいるか

世界の素晴らしさをもっともっと味わい、深めること。