ジャンプする瞬間(知ってる在り方を越える)

僕にも経験がある。もう16年前になる。ライフダイナミクスセミナーのベーシックコースを受講したときhttp://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040409#p1のこと。時間と受講料のもとを取るべく(^^;;;初日から貪欲に取り組んだ。こうしたほうがいいと思ったことは全部やった。でもどこか、から回りしている自分を感じ始めていた。

2日目の夜の実習。正解が何なのか開始後すぐわかった。全力を尽くして、なぜそれが正解か説いた。しかし、ついに過半数の思い込みを崩すには至らなかった。チームは負けた・・・。
実習を振り返る。「俺は全力を尽くした。改めるべき点など思い当たらない!」傍観なんてしてなかった。思い込みで目が曇ることもなかった。人を押さえ込んだりせず、冷静に論を進めた。全体の状況もちゃんと把握してた・・・でも、何かが違う。何が違うんだ???
振り返りの最後の最後、ついにわかってしまった。
「ほぅら、俺は正しかっただろ!」・・・実はこれが僕が求めていたものだった。チームが勝つことなんて、二の次だったんだ。だから、僕の言葉はチームメートに届かない・・・。
「俺はやるだけのことをやった。あいつらが理解しないんだからしょうがないじゃないか・・・」負けたって、自分だけ正しく居られる。なんとズルイ奴なんだ、俺って。

その夜、それまでの人生のいろんな局面が思い浮かんだ。チームは負けても、いつも俺は正しかった。あの時も、この時も・・・ひたすら恥ずかしかった。悔しかった。
翌朝。今、観えていることを自由に発表する時間があった。はじめて、手を挙げられなかった。人前で話すことなんて平気の平左だったのに。
「だからこそ、挙げなきゃ!」と想った。固まる腕を、もう片方の手で無理やり引き伸ばすようにして、ガッと手を挙げた。5番目くらいに指名されたのかな・・・。
順番を待つ間、がくがく震えていた。何をしゃべるかなんて、全然組み立てられなかった。自分の番が来て前に立つ。歩くのもやっと。ひざががくがくしている。声が震えている。何をしゃべったかも覚えていない。
休憩時間。次々と僕のところに「感動した」「共感した」「俺もそうなんだ」と熱く語りかけてくれる人たちが来た。そんな反響、生まれて初めてだった。

無理やり手を挙げた・・・それが実は「正しさや成功体験を手放す」「ありのままで居る」「心から伝える」ことを、初めて体験した瞬間だった。