方言周圏論ふたたび

情報の伝播が、地理的距離に大きく左右されてた時代は、マクロに観ると、地図上に同心円状に分布するのでしょうね。
しかし、たとえば今の僕自身のニックネーム・ハンドル名の分布は、地域で観るとランダムな分布。性・年齢・職業と言う観点で見ても、ほぼランダム分布に観えるはず。
では、なにに沿って分布してるのか・・・興味の似た人たちがあつまるコミュニティごと、私の興味のジャンルごと・・・に、違う呼び名になってます。それぞれに、呼び名が発生する・または私が名乗る。興味の流れが分化し、新しいコミュニティが生まれると、やがて呼び名も新しくついたりして・・・。
私、というひとりの人間から、複数の興味の流れがはしっています。興味が深い分野には、どんどん流れが集中し、渓谷を形成する。その谷ごとに、ものごとのイメージが形成され、用語が生まれる。私中心に見た、ひとつの地形・ランドスケープ・景色が生まれる。その景色のなかに、ひと、企業、概念が、イメージとともに位置付けられている。
そして。全ての人が、それぞれのバックグラウンドから、それぞれのランドスケープを形成している。それは、同じ世界を観ていながら、たぶん、まったく違う様相の。まるで、層別を変えたときに、全然違うパレート図が書けるように。
人生でなにを大切にしたいかも違うだろう。だから「自由」「自分勝手」「閉じた」という概念の位置付けも違うだろう。おなじショーを見ても、まったく違う感じ方をするかもしれない。「読売新聞」にどんなイメージを持っているかも。
私の地形図では、砂漠の中に「読売新聞」があったりして。でも、きれいな湖畔に「読売新聞」が置かれてる地形図を見て、「おお!そんな捉え方もあるのか!!!」

ん!我々が肉体を伴って生きている意味http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040511#p1とつながりましたね。

webのおかげで、他の人の地形図に触れる機会が飛躍的に増した。そのことで、目からうろこが落ち(冒頭に書いたみたいに)、偏見を超えて興味惹かれる記事に出会い、よりしっくりする、より自分らしいランドスケープを形成することが出来る様になっている。世界への理解を、そして自己表現を、深めることが出来る様になっている。
現時点でとりあえず想いをまとめると、こんな感じかなぁ。