匿名性と人格 2chとBlog ジャンルと人格 公開の場での推敲

2chとBlog。コミュニケーション体験が、どんな風に違うのか・に興味があった。
発言の属人格性の薄い・濃いが、どんな影響をもたらすのか。
まだ、結論を出せる段階ではないけれど・・・。

Blog、とってもいいです。
ノイズが圧倒的にのりにくい。
発言やアイディアが、触発され、がんがん発展する瞬間があります。

niftyの会議室に近い感触。
しかも、話題に沿って場があるのではなく、自分自身に沿って場があり、リンクが話題に沿って広がる形なので、ジャンル間をクロスオーバーした展開が生まれやすい予感。

2chのほうがむしろ、書き込みに当たって制約が多いかも・・・。
意を持ってなにかを起こそうとすると、多々配慮が必要。

ひとりの人間が、多ジャンルに関心を持つ。たとえば、組織論とディズニーリゾートと人の心理と音楽。それらの間に、その人の中ではなんらかの関連性が生じている。ディズニーリゾートでの体験から、組織のあり方が観えたり、音楽に関する知見を得たり。それがより深い体験にフィードバックされたり。
異ジャンル間の関連性が、スパークする感触。Blogで時々、それを感じる。

子供の頃、百科事典を読むのが大好きだった。読み始めると、何時間でも読みふけってしまえる。関連事項へ飛ぶこともできるし、あいうえお順でたまたま次に並んでいる、無関係の項目に興味を惹かれて読み進むこともできる。
webはこれまで、調べ物をすることはできた。その関連事項へのリンクをたどることもできた。でも、一見関係なさそうな、しかし興味を惹く事項へ出会い、ぐんぐん惹きこまれることは少なかった。Blogには、紙の百科事典に近い特性を感じる。

記事を書きなおせる・・・というのも、大きいかもしれない。
MLや掲示板では書き直しが効かない。書くに当たって、よく推敲する必要があるし、一旦UPしてしまうと、間違いを修正することができない。
Blogだと、下書きレベルから公開して、徐々に完成させていくことすらできる。その特性がかえって、記事の率直度と信頼性を上げているように感じる。
想いをそのまま文章にしてみることが、容易。
そして、事実関係については、再確認して修正することが可能。
未完成の文章を公開の場に投げ出して、フィードバックを受けながら練り上げていく。著者と編集者という関係が、そこここに多面的に出来上がりうる・・・っていえるのかな。
いや、実際にフィードバックが来る・来ないは別として、公開の場で下書きを練り上げるというのは、自分の中で生じる体験が、ずいぶん違う。エゴを超えやすい・・・心の声に正直になりやすい。そんな感触がある。
既に頭の中に用意されている考えを超えた言葉が出てきやすい。
そういう言葉って、エゴは居心地悪く感じ、消去したがるけれど、公開の場で推敲してると、ちゃんと残ってしまう。そんな感触。
ほんまかいな・・・わかりません。でも、そんなにおいはするなぁ。もっと体験を積み重ねるとはっきりしてくることでしょう。