肉体を伴って生きている意味

6年前、こんなことがふと腑に落ちた。
「すべての人、赤ちゃんも含めて誰一人例外なく、僕の観てない景色を観、僕の知らないことを知っている。
僕のしていない体験をし、独自の視点をはぐくんでいる。
僕たちが別々の存在として生きていることに、もし意味があるのだとしたら、これだ。」

  • 無限と抽出・自由と制限

楽家は無限にある音の中から、あえてある音階を選び、ジャンルやスタイルを選び、楽器を選び、作曲・演奏する。
無限の自由から要素を抽出する。ある種、制約を課す・・・とも言える。
制約を課すことで、かえって深く自由な自己表現が為される。無限に為すことが出来る。
多様なジャンル・たくさんの表現が現存する。それらに出会い、選ぶことで、自己表現が磨かれる。時にはジャムセッションしたり。

  • 体験と意味

体験と概念が一致した瞬間、こんなことが起きます。

言葉を何度も見つづけているうちに突然意味が腑に落ちる

腑に落ちた理解は、より大きな自己表現と深い体験を生み出す。
より深い体験を重ねるにつれ、意味がますます深く観える。
他者の体験や自己表現に触れることで、この循環はいっそう深く・大きくなる。

  • つながりと選択(抽出)

ネットにつながれば、日本も日本の外も、今も昔も、すべてがひとつにつながってしまう。

そのことでかえって、「自分」がなにを選び取るのか、が、深化すると僕は観ています。
多様性を妨げるのは、むしろ・・・
「こうするものと思い込んでいて、それ以外の選択肢を知らない」という無知や
「こうしか出来ないから、やむを得ずこうする」という言い訳。
制約が自己表現の素材だってことを、そして、フラットな世界から自分はどんな要素を選び出そうとしているのかってことを、つながりが教えてくれる。