子供のころ、田舎の盆踊りは「輪になって踊るもの」だった。手本を示す人たちがヤグラの上で踊り、参加者たちはヤグラの周囲をゆっくり回るように踊った。やがてステージがヤグラに取って代わると、回転式の盆踊りは減り、祭りは参加者全員が正面のステージと対面する配置になった。

 結婚披露宴でステージ方式が主流になるのは1960年代らしい。それまでは、同じ卓に入った新郎新婦を、参加者たちがぐるりと囲む席次が普通だったという。やがて披露宴が「主役を見せるもの」に変わると、正面ステージに並ぶ新郎新婦と、参加者全員が対面する配置になった。

 大量の団地が建ち始めたのも60年代だった。それまでの一戸建ての民家は、出入り口が多かった。かしこまった訪問客は玄関から入り、御用聞きは勝手口を訪ねた。近所の人たちとは縁側で雑談を楽しんだ。やがて団地が普及すると、出入り口は金属製のドア一枚となり、住人はドアのある方向だけに注意を払えばすむようになった。

毎日新聞 2006年9月24日 東京朝刊

NHKスペシャル 東京カワイイ☆ウォーズ ファッション編

人気モデルと連携しての商品開発。アイコンとして名義を借りるだけじゃなく、彼女の「かわいい!」というひらめきと意見を、全面的に取り入れる。
109。各店舗の売り上げが毎日発表され、各店長は急に売り上げが上がったお店を参考に、流行をつかむ。
凄いスピード感。20歳位の若い店長とデザイナーが、渋谷を歩く女の子たちをスケッチし、アイディアを得、友人たちにリサーチし、2週間で製品化。そのスピードじゃないと、流行が移り変わってしまう。
一方、モードは製品化まで1年ほどかかったり。


リアルクローズ界とモード界との断層。


コシノヒロコさん、「自分らしいってなんなのかを、ずっと追いかけてきた。コピーして、すぐ服にして、お金にしてっていうのも、ビジネスとしてはありだけれど、長続きはしない。オリジナルじゃないから。」
正論ではある。でも、着る人と遊離しては、意味がないのかも。
東京ガールズコレクション。2分後にはwebでも映像配信。そのパワー。
一方、地盤沈下が続く東京コレクション。会期を早める。ガールズコレクションとの将来の連携を図る。


まぁ僕自身は正直、服には全然興味がないので、
「いやぁ、移り変わり消えてしまうものに、こんなにエネルギーを注ぐなんて、もったいない・・・」って想ってしまうなぁ。
ただね、日本ってもしかしたら、昔っから「一般大衆が凄い」んだろうなぁ。その代表的な場面なのかもしれない。
元禄のころも、そうだったんだろう。
日本製品の質が世界一になったのも、働く一人一人が自主性を発揮して創意工夫をしたから。それは、QA/QC活動のみならず、それ以前の徒弟制度や職人の世界でも、たぶんそうだった。
PCだって、アニメーションだって、ロボットだって、ユーザー踏み込んで創造性を発揮しちゃう。


魅かれるもの、素敵だと感じるものを、きっちり追いかけてる。楽しんでる。
とはいえ。イメージ操作で左右されてる部分も、多々あるわけで。
質のよさ、出来の良さっていうのは、かなり絶対的に見抜ける・伝わるものがある。
イメージの部分、物語性の部分。移ろいや流行。これは多分に、化け物のようなところがあるよなぁ。だからあまり、流行に興味を引っ張られないようにしてるのかも>俺

おしゃれスタイル 高橋ジョージ・三船美佳夫妻

デビューして、電車内の広告などでよく見かけるようになった・・・と想ったら、すぐ16歳で結婚して、びっくり!したので、印象深く覚えてる。
幸せそうだなぁ(^^)