おいしい

昨夜から、時折雪。
朝には牡丹雪が。


夕方は、すっきりと晴れて、
もやをオレンジに染めながら、夕日が傾いていった。

前ふり・・・夢

危機感は、即効性がある。
でも、長く続くと疲弊する。


夢を明確に提示し、
そこから為すべきことを語ると、
ワクワクが違う。
せねばならないことは、ほとんど変わらないはずなのに。
アイディアが湧いてくる。
為すことの質は、きっと上がるだろう。

おいしいものを食べたとき、起きること

ほんっとうにおいしいものを食べた時、
僕の場合は、はっきりと体感が違う。
口の中から、ぶわっと独特なエネルギーが走る。
ぅわぁ!!!と称賛したくなる。
ともに食卓を囲む仲間といっしょに、
創った人に感謝を伝え、
友人知人に薦めたくなる。

おいしい生活。”

糸井重里さんの名コピー。
パルコだったか、西武百貨店だったかの、キャンペーンのキャッチフレーズだった。


これ以来、”おいしい”という言葉の意味は、ぐっと拡がった。
そしてそのあと、たぶん糸井さんの意図を超えて、
”おいしい思いをする”=甘い汁を吸う
という用法も生まれた。
言語学的に、ほんとにそうなのかどうか調べたわけではないのだけれど、あの時代を生きた僕の体験としては、まぎれもなくそうだった。)
お笑いタレントが、「おまえ、おいしいなぁ!」とか、「おいしいところを持っていかれたぜ!」とか、
おいしい生活”以前に言っているところを、僕は観たことがない。

”おいしい”の意味を、もう一段、変えてみたい。

いま”おいしい”という言葉の意味に、かすかにまとわりつく、
そねみ・ねたみ・罪悪感は、
どこから来るのだろう。


たぶん、
”おいしい”に出会うのに、幸運が必要なこと、
そして、
その幸運がなかなか稀で、
しかも、
特定の人が独占しがちなこと、
・・・ここから来るんじゃなかろうか。


もしも、
”おいしい”にまとわりつく、そこはかとない罪悪感が薄らいだなら。
もっと素直な喜びの表現になるんじゃなかろうか。
もっともっと、暖かくひろがっていく表現になるんじゃなかろうか。
そんな社会はきっと、
とても滋味深く、彩り豊かで、居心地のいいものになる。


そんなふうに”おいしい”を変えていく仕事をしたい。

実現のためには・・・

  • ”ほんっとうにおいしい!”と、エネルギーが走るような体験を
  • 稀ではなく、たくさん生み出す。
  • その幸運が、多種多様な人々に、多種多様に届くようにする。

そうすれば、
「おぉ、おいしい! 良かったねぇ!!!今度は俺の番かな」
と、素直に喜びあえるようになるだろう。


おいしい生活”から27年がたち、
条件は整いつつあるような気がする。
たとえば
おいしい情報は、
抱え込むよりも、わかちあったほうが、
生まれるものが大きい時代になった・ような気がする。
まだ直感の段階だけれど。

10年後って、読めますか

10年前・2001年。こんな2011年を予想出来ていたか。
・・・うん、おおよそ出来ていた。
中国は躍進するだろうし、
ヨーロッパはそろそろ落ち着くだろうし、
アメリカは相対的力が低下するだろうし、
日本は高齢化が進むし、2大政党化するだろうし。


携帯電話はPDAやカメラの機能を取り込むだろうし、
パソコンは日用品化して価格が低下してるだろうし、
信販売は盛んになり、
誰もが簡単にネットワーク上でコミュニケーションとってるだろうし、
テレビは衰退に向かうだろうし。


予想外だったのは、
9.11テロ。
Googleという、凄い検索技術の登場。
電子ブックの普及の遅さ。
・・・いや、今振り返るから、こんなふうに言えるのかもしれないけれど・ね。


9.11テロは、”特定のひとびとばかりがおいしさを独占する”ことがもたらしたと言えるのかもしれない。
Googleの登場で、おいしい情報に、瞬時にアクセスできるようになった。おいしい!と叫べば、聴きたがってる人のところに、ぱっと届くようになった。
電子ブックの普及を阻むのは、おいしさをどう届け、その手数料を配分するか、新しいしくみの構築がうまくいかなかったから・と言えるかも。
・・・思いつきですが。



では、10年後はどうなっているだろう。
中国も韓国も高齢化が激しく進む。
日本周辺は、今の西欧のように、経済成熟国があつまった地域になる。
中央アジア・中東・アフリカ諸国が経済発展期を迎える。
無線ネットワークは、安価になる。
ICタグが、じゃかじゃか使えるようになる。
環境問題は解決に向かう・さもなければ破滅(^^;
基軸通貨は、たぶん変わるんだろうなぁ。ドル一極から、バスケット制になるのか、どんな仕組みがいいんだろう。
・・・などなどなど、ほぼ素直に読めることは、たくさんある。


日本は、量を満たすことから解放され、味やセンスや技が重視される社会になっているはずだ。ようやく。
だとしたら、
素直に”おいしい!”と喜びを伝え合える、そんな時代を創んなきゃな。