プレミアムシアター(演劇) 劇場中継「奇跡のメロディ〜渡辺はま子物語」 → NHK映像ファイル”あの人に会いたい”渡辺はま子

斉藤由貴さんが、最初、斉藤由貴さんだとは分からなかったほど。
僕は、渡辺はま子さんのしゃべる姿は見たことがないが、歌はほんと、はま子さんそっくり!!!まさに乗り移ってるかのよう。


舞台ゆえ、オーバーに誇張してはいるのだけれど、胸打たれた。


で。
続いて、nhk映像ファイルの放送。s51年だったかの、インタビュー映像の紹介。
現代風の美人だったんだなぁ。
そのきっぱりとした決意の表れ、慰問の様子、そして・・・モンテンルパでの録音!
劇が、実にしっかり取材をされて、再現されたんだなぁとよくわかった。エピソードのみならず、モンテンルパでのはま子さんの台詞は、まさに実際そのまんま。


そして。
生の現実は、誇張された演劇を超えて凄い。
爆撃機の前での慰問の写真。まさに爆撃から帰ってきたところで、1時間ほど伴奏なしで屋外で歌ったのだという。その言葉の重み。
そして、モンテンルパでのはま子さんの挨拶。音声だけだけれど、涙に詰まりかけて、やっと、ついに、大変な思いをしながら逢えたというその気持ちが、ひしひしと伝わってくる。歌声のなんと澄んで美しいこと・・・アコーディオン伴奏だけなのに。


横浜に無事帰ってきた皆さんと出迎える家族やはま子さんの写真の、輝くような笑顔・笑顔・笑顔。
でもこればかりは、この写真を見ただけでは、この喜びの瞬間の手前にどれだけ長い、あまりにも重くつらい日々があったかを想像するのは難しいよなぁ・・・。
そこに、演劇の威力がある。そう思った。


決して、今を生きる自分たちと、無縁のお話ではない。
フィリピンと日本が、いまのような関係で居られるのは、多いのこの一件のおかげでもあろう。もし、違う形で決着していたなら、恨みをいまだに抱きあう関係であったかもしれない。自由な行き来はないままだったかも知れない。
共同体の不始末を、誰か個人に理不尽に負わせて、そのフォローはしないまま忘れ去る・・・なんてことは、いまでも起こりがちなのではないだろうか。
もし、日本人が東南アジアの人々を見下すようなことがなかったなら。敬意をもって接し続けていれば。兵站をきちんと確保し、略奪なんてことをしないで済めば。日本軍は解放軍として喜んで迎えられたまんま、侵略者となってしまうことはなかったのでは。その無計画さや見識の狭さは、今もなお健在ではないだろうか。
僕は果たして、こういう不条理に出会ったとき、この劇に登場した皆さんのように、気高く、誇り高く、粘り強く、自分の意志で働きかけ続けることができるだろうか。