プロフェッショナル グラフィックデザイナー佐藤卓さん

面白がりっぷりが、素敵。

自分を消す

デザインは主役じゃない。
あっとおどろくようなデザインを創るのは、プロならば簡単。
あたりまえに、生活をしている人に寄り添える。そんなデザインをすることに醍醐味を感じる。

  • 商品の本質をつかんで、それをそのままデザインにする
  • 機能を追究する
  • 物語を込める
共同作業

スタッフとの30分の打ち合わせを、1日6回くらい。スタッフは複数のデザイン案を創って、また打ち合わせ。これを繰り返す。
プレゼンでは、クライアントから異論や意見を、なるべく引き出す。

意見を聞いて、さらにいいところにもっていくのが僕のやり方なんですよね。

波乗りをしながら、わずかな力をいかに利用するかを考える。それがそのまま、デザインと同じだなって思うんです。
相手に合わせる。それは媚びるわけでも迎合するわけでもなくて。
それを波乗りが教えてくれる。

依頼以上の仕事をする

よりよくなるとおもったら、さかのぼって提案する。
メニューボードのデザインを頼まれて、商品名を変える提案をする。
値札がショーケースのガラス局面でゆがむのを見て、商品の陳列のしかたも提案する。

つまらない依頼が来たらどうしますか?

面白くなくしちゃってる人は、残念ながらいる。
あきらめたらそこで、面白くなくなる。
面白くない仕事なんて、何ひとつないですよ。

転換点

アーティストにあこがれていた。でも、商業デザインの道に。
日比野克彦さんはじめ、後輩たちが、やりたいことをやって、注目されていく。それにひきかえ、自分はちまちまと、0.1mmものをよせて・・・なにをやってるんだ。
ウイスキーのカタログのレイアウトをしてて、思わずつぶやく「飲みたいウイスキーがない」・・・それを聞いた先輩が、ならば飲みたいウイスキーを企画してみたら・と。
なやむ。工場に行く。原酒のうまさに驚く。→ピュアモルトの製品化、大ヒット。世の中との共鳴。これはデザインって、面白いかも!

アイディアのわずかな気配を感じ、とらえて、こじあけていく

”ふっくりんこ”という函館の米のパッケージデザイン。
厳しい真剣な顔が、”これ面白いかも”に行き当たると、例の素敵な笑顔になる。
そこから膨らませる。練り上げる。
最後は12時間ぶっ通しの作業。プレゼン用の3案を仕上げる。アイディアのいくつかは大胆に捨てながら。


どれが一押しとは言わずに、プレゼン。
一番時間をかけた一押し案ではなく、2案3案を組み合わせたものを希望される。


そこでがっくりするのではなく、
4日にわたって、さらによくする作業を。

プロフェッショナルとは

さりげなくいい仕事をする人。
頑張るとか一生懸命とか、表に出すなってことなんですよね。

ブラタモリ 住宅 再放送

根津の路地。長屋。江戸時代、人口は武士50万町人50万。なのに土地は武士7割町人1割5分。生き方が軽やか。守るものがない。責任を果たせばやりたいことをやれる。
上野の洋館・旧岩崎邸。吹き抜け、地下通路(使用人が行き来できるよう、20の建物すべてつながっていた)、最初期のベランダ(バルコニーは屋根がない)・インドや東南アジアの現地建物の様式を取り入れて生まれた。日差しを遮り風通しを良くする。
千駄木・旧安田邸・大正8年。玄関、禅宗からきている言葉。幽玄の玄、関門の関。応接室だけ洋風。ガラス。戸車。屋根がガラスな台所。2階が客間・最上級のお客さんだけを迎える・・・あぁ、だから祖父の家の2階は、欄間や床の間がこっていたのか。接客を大切にする心。
深川・昭和3年の旧東京市営店舗向け住宅。コンクリート製、アールデコ。押し入れに地下室。
ひばりが丘団地。映画”団地への招待”。今いるこの部屋、そのまんま。DK。
短い間なのに、こんなに変わる。躊躇なく捨て去る文化。


職場にクリスマスイルミネーション。
LED、安くなったんだなぁ!

坂の上の雲 第3回「国家鳴動」(後編)

後半を。

歴史秘話ヒストリア「私は“愛”を信じます〜絶対に裏切らない武将・高山右近〜」

親友との切りあい。もし敵意を持たずに接していれば 切りつけては来なかったのでは・・・と悔やむ。
慈愛に基づく政治。
村木正成の謀反。信長と対峙。領民を取るか、息子を取るか・・・髪を切り、信長陣にひとり乗り込む。自らの身を差し出し、武将をやめるから、領民を救うよう願いでる。めったに降伏者を許さない信長が、その誠実さに感心し、武将として生かす。
千利休の一番弟子。茶の湯の回し飲みは、キリシタンの葡萄酒の拝領からきているともいわれる・・・知らなかった。
秀吉時代、仲間の大名たちを感化。キリスト教は、”高山の宗門”とさえ呼ばれるように。黒田官兵衛小西行長も入信。
ところが、伴天連追放令。武将にとどまりたければ、キリシタンをやめよ。

たとえ人は全世界を手に入れても、自分の魂を失ったら

黒田も小西もキリスト教を捨てる。
35歳。全領地を捨て、放浪の旅に。
小西行長前田利家。秀吉の罰を覚悟で、右近をかくまう。小豆島に半年、金沢に26年。
家康が、国外追放を命じる。「形だけでも棄教を」と友人たちに薦められるが、マニラへ。
・・・マニラでは、町を挙げての大歓迎。しかし、到着40日後、高熱を発し亡くなる。
バルセロナの洞窟教会に、聖者の一人として、UCANDONOと書かれた右近のモザイク画。死後、各地で右近の生涯を描いた演劇が上演され、信者のお手本として有名になったのだという。