白熱教室 in Japanを録画しそこねた! しまった・・・
オバマ大統領は、原爆投下について謝罪すべきか」という問いに、広島の原爆慰霊碑の碑文を取り上げて語ったかたは、居られただろうか?


私に発言する機会があったなら、こんなふうに答えたかった。

私は広島県出身です。小学生の頃、原爆慰霊碑の碑文について学びました。

安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから

”繰り返させませんから”ではなく、
”繰り返しませぬから”。
なぜこの碑文を、被爆した広島市民が、身内を亡くし、財産を失い、後遺症に苦しむ人々が選んだのだろう?


「私は悪くない、おまえのせいだ。おまえが過ちを改めろ」と言い合っているうちは、争いは決して絶えることがない。
こんな悲惨な出来事は、二度と起きてほしくない。そう真剣に願うとき、自分になせたはずのこと、変えていけることは、必ずみつかる。
ひとり、”こんな過ちは、二度と繰り返さない”と自分自身のこととして誓うごとに、
ほんのわずかかもしれないけれど、でも確実に、恒久平和に近づく。
蟻のあゆみのように遅いかも知れないけれど、これが唯一、戦争のない世の中を実現する道だろう。


オバマ大統領が、”こんな悲惨な出来事は2度と繰り返さない”と誓ってくださったなら、それは大きな一歩になります。


かつての日本を正当化したいためではなく、
アメリカが謝ったと溜飲を下げたいためでもなく、
”むこう側”と”こちら側”を隔てる線を引き、破滅するまで奪い合いをするという、わたしたち人類の愚かな習慣を断つために、
碑文の前で誓ってほしいと、私は願っています。


謝罪のテロスって、
たぶん、相手の溜飲を下げたり、慰撫したりすることではない。
・・・神に謝罪したり、自分自身に謝罪したり、ものに謝罪したりしますもんね。
”二度と起きてほしくない出来事に対し、己の影響行使可能性=レスポンシビリティを認め、再発させないと誓う”ところにあるのではないでしょうか。

正確な碑文を確認するため、ぐぐってみたら、
”この碑文は、自虐史観的で気に入らない”みたいな記事が、結構たくさん目についた。


ひとを、将棋の駒のように扱おうとしたり、
”こりゃ勝ち目ないんでは”と想っても、空気を読んで言い出さなかったり、
いかに負け戦を閉じるかの決断をしないまま、ずるずると続けたり、
俺は悪くない、お前が悪い、とひとのせいにしたり、
自分の所属するチームを仮想して、その正当化で、自尊心を満足させようとしたり。


戦争は、遠い昔の過ちではない。
いまの私たちが、ともすれば陥りやすい過ち。その延長上に、戦争はある。

龍馬伝

もし、高杉晋作が維新後まで生きていたら。
ひょっとしたら、西南戦争は起きなかったんじゃなかろうか。


もし、坂本龍馬が維新後まで生きていたら。
議会制民主主義は、もっと早く日本に根づいていたんじゃなかろうか。


歴史にもしは、ないけれど。