カンブリア宮殿 セーレン 川田社長

22:20から観る

窓際族から、社長に

就職当時、繊維産業は花形。
入社して、新入社員研修・・・へんな会社だな。
100年の歴史を持つが、下請け仕事ばかり。顧客に言われたとおり仕事をするだけで、”経営”がない。
レポートに書き、変だといい・・・新入社員から窓際族に。
大卒ではじめて、工場配属。現場の人達は珍しがって、とても可愛がってくれた。5年半の勤務、「あれがサラリーマン生活の全てでした」


営業企画担当に。なにもやることがないし、なにをやってもいい。
繊維でできそうなことを探しては、夜中管理職が居ない時間に、工場でなじみのひとたちに頼み込んでこっそり試作、売り込み。
ビニールばかりだった車のシート。布では10年もたなかった。それを解決、採用されそうに。
しかし、設備投資に役員会が大反対。
じゃぁ、自分で会社創ってやります・・・と、KPセーレン設立。実は、KP=Kawada Plant

必ず、理解してくれるひとは居ます


1987年、会社存続の危機に、

下っ端から社長に。
上司がみんな、部下になっちゃった

脱・衣料。
衰退していく衣料では、この先生きていけないと、明確に見えていたのだろう。
繊維の技術が活用できる分野に、次々進出。
人工血管・液晶TVの電磁シールド・縫わない服・建築外装タイルの染色・・・


20年経った最近になって、ほかの繊維企業もようやく、似たことを言い始めている。


売上500億円の時に、200億円の設備投資。
21世紀に存続しようとすると、夢や高い志が要る。
「社長は、一旦やると決めると、とことん応援してくれる。諦めるな、頑張れ・と。」
やると決めたことで、これまで失敗なし。見極めも良いのでは?・・・技術者は、できる目処がつくまで、やると言わないから。・・・すると、やる気にさせることも大切。
技術力と、モチベーション。
一歩一歩、成功体験を積ませる。


村上龍さんのまとめ

下請けから自立へ

高度成長時代、日本の殆どの企業は、政府か他企業の下請けだった。
自分でものを考えなくても、旺盛な需要の伸びで、成長できた。
・・・いまもまだ、そんな体質の企業が多いのではないか。
自立しなければ、存続できない。その実例。


僕の感想。
たぶん、工場配属も、営業企画担当も、
単純に”窓際”ではなく、
先を見通していたどなたかが、川田さんの資質をかって、配属したのではないか。
川田さんの照れもあるだろうし、
川田さんの反骨精神を活かすために、配慮したご当人は決して告げもしなかったろうし。