ゴールドカラー

今日も快晴。土手に出てみたら、オレンジ色のガスタンクみたいに、球形の太陽がビルの間にちょこんと納まってた。


かつて、工業化の進展とともに、
ブルーカラー”と”ホワイトカラー”とに分離したように、
今後、
”ホワイトカラー”と”ゴールドカラー”とに分離していく
・・・と説いている経済学者がおられるそうな。


ゴールドカラー”という言葉は、Robert Earl Kelleyさんの提唱したようだが、
ほかにも、いろんな言い方で似たことを説いている学者さんたちが居られるようだ。

ブルーカラーは、生まれた町で高校まで出て、隣町の工場に勤め、配偶者とは近くのバーで出会い、子どもも地域の学校で育つ。人生は半径50キロくらいのエリアで完結する。

 ホワイトカラーは、数百キロは移動します。日本で言えば、金沢で生まれ育って、東京の大学に行き、大阪に配属になったりします。妻の実家は仙台だとしましょう。東京・大阪間が約600キロなので、人生は東京を中心としただいたい半径500キロくらいの範囲を舞台として繰り広げられるわけです。

 それに比べて、ゴールドカラーは数千キロ動きます。半径数千キロというのは、つまり世界を股にかけるということです。先日、雑誌に載っていた米国の投資銀行のチーフエコノミストの方。中国の田舎生まれで、清華大学(中国の理系トップ大学)の工学部で博士号をとり、その後ハーバード大学で経済学の博士号をとって国際機関で働き、今は米系の投資銀行で働く傍ら、中国政府のアドバイザーもやっていると書いてありました。

なるほど確かに、そういうひとは身の回りにも居る。

もう1つの特徴は、彼らは「誰にも使われない人である」ということ。

こういうひとも、居る。

 もう1つ、その本の中で印象的だった点、それは「こういった社会層は発現から3代で定着する」ということでした。

 ブルーカラーとホワイトカラーの分化が始まった頃は、お父さんは農家、お兄さんは工場で働いて、弟が大企業でホワイトカラー、ということがあり得た。しかし、3代経つと大半の家は「家族全員がブルーカラー」か「家族全員がホワイトカラー」というように「家族ごとに分離・定着」してしまう、と。そして今後は同じことが、ホワイトカラーとゴールドカラーにも起こりますよ、と予想するのです。

なるほど・・・。

 今、自分の子どもに対して、「いい大学を出て、いい会社に入れる(=いい会社に選んでもらえる)ように育ててあげたい」と考え、高い塾の授業料を払いながらお受験をする家庭は多いですよね。でも、そういう方法では「ホワイトカラー予備軍」しか育ちません。

 では、国際的に活躍できるよう英語を学ばせればいいのでしょうか。そうではありません。なぜなら「親に言われたから英会話学校に通っている」というのは、「指示されたことをやる人」に過ぎないからです。

 ゴールドカラーとは自分で道を選ぶ人たちです。小さい頃から“他人と違う言動”を褒めてもらえ、突拍子もないことを言い出してもむしろ応援してもらえる。そういう環境から彼らは育っていくことでしょう。ある意味では「素直なよい子」とは対極にあるところから、そういう人たちが育っていくのかもしれません。

 それもちょっと楽しみだったりします。

さてさて。
戦後日本の特徴として、ブルーカラーとホワイトカラーとが、ぱっきり分かれていなかった・・・ということが挙げられる。
しかし。
家庭の文化として、ブルーカラー的なおうちと、ホワイトカラー的なおうちというのは、実は明確にあったのではなかろうか。
いや、もっと的確に言うと、ブルーカラー的なおうちと、ゴールドカラー的なおうち・・・かもしれない。


ブルーカラー的な価値観しか知らずに育ったひとに、企業の現場において、分析能力や創造性を与え、育ててきた。
・・・これが、日本の製造業が画期的に発展してきた秘訣だったのではないか。


そしていま、
製造現場において、ホワイトカラーとブルーカラーとが、ぱっきり分かれつつある。
正社員と、非正規雇用という形で。


ここで面白いのは・・・
安定志向の正社員よりも、
職人気質の協力会社のひとたちのほうが、
高い創造性を発揮し、どこに言っても通用するスキルを身につけている・・・という例が、身近で観られることだ。



もしかしてもしかすると、
腕一本で勝負するブルーカラーの人たちのほうが、"世界をまたにかける”覚悟さえ決めれば、
安定志向でしがみつきがちなホワイトカラーの人たちよりも、
ゴールドカラーに近いのかもしれない。




さぁて、僕はどうだろう。
人に使われるのは、どうやらまったく向いてなさそうだ。モチベーションが維持できない。
ゴールドカラー”・・・なるほど、そういう働き方を、僕はしたいんだろう。


しかし、世界をまたにかける覚悟は、ないなぁ。


そして、実力が伴わない。
かつては、社外でも通用するだけの経験や技量を身につけようという意識があった。
イオリアクター、GMP、製造環境の高度な衛生管理、OA、PC、製造現場の指揮・・・
もし、転職したとして、当然新職場でのトレーニングは必要となるだろうけれど、現職場での経験も活きるだろう程度には、身を入れた業務経験を積めていた・・・ような気がする。


でも、製造管理に配属されて以来、ここ7年、すっかり現場勘はにぶってしまった。
もはや、社外でも通用するようななにかって、果たしてあるのだろうか。



読売新聞に、益川さんと利根川さんのシンポジウムが掲載されてた。
たしかこんなことをおっしゃってた。
”人生を賭けられる仕事を探せ。”
”目標を下げるな・もっと素敵な目標が見つかって上げるのはいいけれど。”



こういう仕事なら、人生を賭けたい・・・というものが、僕には、はっきりとある。
ひとが、自身の価値に気づき、輝く・・・その援助をしたい。
それをどこかで無理だとあきらめたがっているから、変な葛藤が生じているのだろうなぁ・・・。