歴史は繰り返す・・・イギリスの鉄道史

ヨーロッパ大陸は鉄道車体の大きさを、協定で規格統一して、国際相互乗り入れを可能にしている。
しかし鉄道発祥の地イギリスは車体規格が小さいため、ドーバー海峡トンネルが開通したにもかかわらず、専用の車両しか乗り入れできない。
かつて、国際列車を運行していたワゴン・リ社の車両も、今、ロンドンに直通しているユーロスターも、車体が小さいのは、そのためだそうな。


そこで、大陸規格の車両が直通できる高速新線を、まずはドーバーからロンドンまで建設。これは完了。
やがては、さらに延長して・・・こちらは、なかなか資金の目途が立っていない様子。


ところが。
全然知りませんでした。
すでに、ロンドンから北にシェフィールドまで、ドーバー海峡トンネルによる車両直通を想定した、大陸規格の幹線が存在したことを!
高速運転に備えて曲線半径はゆるく、全線立体交差で踏み切りはロンドンのターミナル駅近くの1箇所のみ。
新幹線の祖先のような、この路線が建設されたのは、なんと1899年。
Great Central Main Line - Wikipedia

  • Unlike other railway lines in Britain, the line was built to an expanded continental loading gauge which meant it could accommodate larger sized continental trains, in anticipation of traffic to a future Channel Tunnel. There is, however, a popular myth that the GCR was built to the standard continental Berne loading gauge - impossible, since the Berne gauge convention was not held until 1912.
  • The line was engineered to very high standards: a ruling gradient of 1 in 176 (exceeded in only a few locations on the London extension) was employed; curves of a minimum radius of 1 mile (except in city areas) were used; and there was only one level crossing between Sheffield Victoria and London Marylebone (at Beighton, ironically still in use).
  • The standardised design of stations, almost all of which were built to an "island platform" design with one platform between the two tracks instead of two at each side. This was so that the tracks only needed to be moved further away from the platform if continental trains were to traverse the line, rather than wholesale redesign of stations. It would also aid any future plans to add extra tracks (as was done in several locations).

最小曲線半径1マイル・・・1609mほどですね。東海道新幹線が2500m、ドーバー海峡トンネルが4000mだそうです。
そしてなんと、1960年代に廃止されています・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ビーチング・アックス


日本で新幹線が開業したのが、1964年。
これが大成功を収め、鉄道復権の動きが本格化し、ドーバー海峡トンネルが着工されたのが1980年代。


もしかしたら、新幹線のもとになった弾丸列車計画は、Great Central Main Lineを参考にしているかもしれません。
そしてこの先、エネルギー消費を抑える必要が増したとき、Great Central Main Lineが復活して、110年前の構想どおり、大陸直通列車が行き交う日が、来るのかもしれません。
直通貨物輸送に使うことを目指している会社も設立されているみたい。ただし、

The company was formed in the late 1980s, and their proposals are controversial and have faced much opposition. Their plans were rejected by the government in 1996 and again in 2003, largely due to concerns over potential financial liabilities to the government.

だそうです。



さて、鉄道高速化といえば、発展期の超広軌鉄道、グレート・ウェスタン鉄道
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/Rain_Steam_and_Speed_the_Great_Western_Railway.jpg
このターナーの絵、以前TVで観て、この日記にも書いたと思うんですが、記事が見当たらない・・・。”優れた芸術は、ものの見え方を変える”ことを、実感させてくれた絵です。


イザムバード・キングダム・ブルネルさんという名技師が主導して、さまざまな技術的試みを行った鉄道会社。
http://www.eureka.tu.chiba-u.ac.jp/に、ブルネルさんに関するいろんな逸話が。開業にむけてのトンネル突貫工事で、100人も亡くなってるとは・・・。”安全第一”の逸話よりも前は、”命賭けて、いい仕事をする”ことが、明確に美徳だったんでしょうね。


軌間戦争に決着がつき、広軌路線が標準軌にあらため終えるのが、ほぼ19世紀末。イギリス国内の規格統一がなったところで、大陸の規格を念頭に置いたGreat Central Main Lineが登場したわけですね。
自転車部品なんかも、国内規格の統一が成ると、国際的な差異の吸収に視点が移るように感じます。たぶん、規格統一→プレーヤー数の減少→より広域での活躍、という流れが生じるからなんでしょうね。



さらにその前にさかのぼると、鉄道狂時代ってのがあったらしい。
投資が過剰に集中し、競合路線がじゃんじゃん出来てしまい、ともだおれに・・・
鉄道の前に輸送を担った運河についても、

運河建設においても1790年代に「運河熱(canal mania)」と呼ばれる投資ブームが発生している(運河時代を参照)。イギリスの運河網の充実振りもこの時代の積極的な建設によるところが大きい。
また、鉄道狂時代は1990年代の通信会社株への熱狂とも比較することができる。通信会社への投資熱は膨大な光ファイバー通信基盤を敷設することになった。皮肉にも、鉄道の敷地が安価に光ファイバーを敷設する経路を提供することになった。

アメリカでは20世紀初頭に、インタアーバンが過剰に建設された時代がありました。
もし、道路網の整備を民間にやらせてたら、同様に、バブル的な投資が発生したのかもしれないなぁ・・・。
運河で面白いのが、

運河会社と運送業者が別箇に経営され、しばしば運河会社側が独占的な地位を利用して通行料金を引き上げて運送業者を圧迫する一方、運送業者も利用者に対して高額料金を請求して利益を貪る場合があった。また、各運河のゲージが不統一であり、運河間の乗り入れが困難で接続地点での荷物の積み替えを要する場合もあった。

一方鉄道は、ゲージを統一して一貫輸送を、インフラと運行を一体経営して定時運行を実現し、運河を凌駕したんですね。
とはいえ、実は最初からそうだったわけじゃなくって・・・

当初は、ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は大半の近代的な鉄道とはほとんど似つかない、従来の馬車鉄道のような方法で運営されていた。ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は線路を所有しているだけで列車を運行せず、鉄道に対して使用料を払えば誰でも蒸気機関車や馬の牽引する列車をその路線の上で運行することができた。この線路所有と列車運行の分離は運河の形態に似ていて、運河ではしばしば運河所有会社は独自に船を運航することが禁じられていた。

ええっ!
すると、どうなるか・・・

ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道には時刻表もいかなる形態の中央での管理組織もなかった。列車は好きな時に運行され、しばしば線路の途中でライバル会社の運行する対向列車と出会って通行の優先権を巡って争いが勃発していた。
この混乱したように見えるやり方も、馬が牽引する列車に対しては十分適用可能であったが、高速な蒸気機関車が列車を牽引するようになると、正面衝突が致命的な結果をもたらすため、実行不可能になった。蒸気機関車の登場と共に、新しい運行方式の開発が必要となった。

ということで、すれ違いが出来る複線、原始的な信号機、時刻表といった仕掛けが発明され、使われたんだそうです。なるほどねぇ・・・


しかしながら。
イギリスは150年後、国鉄民営化にあたり、インフラ会社と運行会社を分け、見事に失敗します・・・。



人類最初の精緻な巨大システム、鉄道。
その歴史は、事故と、その再発防止策とを積み重ねながら、信頼性を上げてきた歴史でもあります。
鉄橋についても、こんな経験をしてるんですね・・・
ディー橋事故
たくさんの苦い経験の果て、リスクマネジメントの手法は、大きく進歩した・・・はず。
はずなのですが、忘れがち。


安全は全てに優先する。
安全を優先することが、品質にも、効率改善にも、実はつながる。
たぁくさんのひとたちが、真摯に誠実に努めているから、いまの高度な安全って実現できてます。でもそれは、作り手・送り手の立場に立たないと、なかなか見えてこない。





http://ja.wikipedia.org/wiki/イギリスの鉄道の歴史

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%89%84%E9%81%93

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E5%9B%BD%E9%89%84