水道理論

松下幸之助さんの”水道理論”って、オイルショック以降、通用しなくなった・・・って、ずっと想ってた。


今日ふと、判った。
T型フォードから今までの歴史は、まさに若き幸之助さんが夢見たとおり、
ひとが、ものへの呪縛から解き放たれる過程だったんだ・・・って。

これ、まだ全部わかったわけじゃないんだけれど、いま、見えてるところまで、言語化してみます。


資源が無限にあると見えてたときは、ものが水道水のように安くなるのは意義深いことだったけれど、
有限だとわかった今、水道水のようにじゃんじゃん使われ、じゃぶじゃぶ捨てられては、困る。
有限な”もの”を、大切に使うためには、ものの値段は上がっていくのが必然だし、そうあるべきだろう・・・って想ってた。


だがしかし。
”持続可能”な経済発展の原資は、無限の資源”創造力”以外にはありえないよなぁ・・・って気付いて以来、このジレンマが見えた。
”もの”の値段が上がれば、”ひとの創意工夫”の値段は、相対的に下がっちゃう。
それって、創意工夫が、ものの値上がりに食いつぶされてしまう未来図なんじゃないか?そりゃまずいだろう・・・。


さてこの一年、ガソリンの値段が、高騰して消費が減り、暴落して。でも、消費量は落ちたまま。
あ、そうか!・・・値段が安い=無駄遣いされる じゃないんだ。


たとえば牛乳、たとえばパソコン。
価格が極限まで下がった結果、
製造は高度な技術を要し、誠実な運営が必須。
買い手は、必要なときに、必要なだけのものを、購入する。
投機や、買占めや、死蔵とは、どんどん無縁になってってる。


水道水だって、価格を上げるまでもなく、節水はどんどん浸透してるよね。


”もの”への執着と、執着への反発とが、浪費や死蔵や過剰要求を生む。
執着がはがれおちれば、必要なときに、必要なものを、必要なだけちょうど、使うようになる。


創造性への投票は、価格でおこなうのが、たぶん効果的なのだろう。(いや、そうじゃないのかもしれない。ここ、要検討)
そして、ものの浪費防止は、たぶん製品価格の高騰ではなく、廃棄費用や、情報共有や、ライフスタイルの吟味や、仕組みの構築でするのが、効果的なのだろう。
ん、浪費防止 じゃなく、有効活用 と言えば良いのか。
その方向でなら、わくわくすること・楽しいこと・素敵なことの創造が重視され、加速する、持続可能な社会が出来上がりそうだ。