ジュリアナ復活の関連から、ディスコの歴史を、また調べる。以前も書いた記憶があるけれど・・・


東京においては、こんな感じだったらしい。
1960年代 いくつかの店が出来始める
1978年 映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が、大ブームのきっかけ・・・これはリアルタイムで経験したので、よーく覚えてる。
1982年 新宿ディスコ殺人事件で、取り締まり強化される・・・新聞でも大きく取り上げられたし、”東京のディスコは、女子中学生が過激な遊びをしている”みたいな週刊誌記事を、見かけた記憶が。
1984年 マハラジャ麻布十番店開業(1982年大阪店が最初)・・・ドレスコード、豪華な内装
1988年 トゥーリア照明落下事故・・・三井不動産系だったのね!
1988年 MZA有明  1991年 ジュリアナ東京開業
1994年 ジュリアナ東京閉店 ヴェルファーレ開業 クラブの台頭
ディスコはダンスホール扱いで、風営法により午前1時閉店・クラブは飲食店扱いで、制限なし・・・という違いがあるみたい。


東京ディズニーランドの開園が、1983年。当初、ディスコの建設も計画されてたみたい。”ファミリーエンタテイメント”を高々と歌い上げていたのは、新宿ディスコ事件など、エンタテイメントの不健全な側面へのアンチテーゼだったんだろうなぁ。アナハイムのディズニーランドには、ビデオポリスというディスコがあったみたい。やがて東京のショーベースのような、ステージショーを観る劇場になっちゃったらしいけど。
当初計画に含まれていながら、すぐには建設できなかったホテル・ヴィレッジ。1990年には、東京ベイ東急ホテル開業と同時に、マハラジャの運営会社が豪華ディスコを1Fにオープンしたんだなぁ、知らんかった(^^;


野球同様、ダンスも、
踊る人が少なくなれば、観る人も少なくなっちゃうだろう。
親子で行って遊べるような踊り場が、あるといいなぁ。
かつてジャズもロックも、いかがわしいものとしてスタートし、やがて、若い頃それに親しんだ人たちが、子供に触れさせるようになって、一般化したように。


戦前、ダンスホールが弾圧され。戦後、社交ダンスは一時、日本中で踊られるものにまでなったにもかかわらず、今も風営法で営業時間などの制限を受けているように、
踊りのパワーって、強いだけに、恐れられもしてるんだろうなぁ・・・。