戦時標準船

アメリカでリバティ船が大増産(2,600隻以上だそうな)されたのは知っていたけれど、日本でも、設計は多種ながら、合計約1000隻も建造されていたんだなぁ。


3年持てばよいという設計、粗悪な材料。しかし・・・

敗戦で、戦時標準船につぎ込まれた努力は全て無になったかに見えました。
しかし戦後数年の雌伏を経て日本造船界が世界に乗り出し、瞬く間に世界を席巻した影には、戦時標準船で得た経験があったことは否定できない事実です。
ブロック建造、溶接の採用、先行艤装方式、いわゆる一杯半建造など、戦後の日本造船界の武器となった技術や発想は、戦時中すでに生まれていたものです。
更に言うなら、戦前の造船技術者は「いかなる船を造るか」のみを考える設計技術者に過ぎなかったのに対し、戦時標準船を経験した戦後の造船技術者は「いかなる船を、どうやって、いかに安く造るか」を考える、生産技術者の能力を持つようになりました。目に見える技術のみでなく、その背景にある考え方も、戦時標準船の建造により革新されたわけです。


そして、生み出された船自体も、戦後・・・
戦標船南氷洋を行く 日の丸捕鯨船団の戦い