特集ワイド:神とは、祈りとは イエズス会総長・ニコラス神父を訪ねる

とても秀逸なコラム。ぜひ全文をお読みください。
”神”という概念が、なにを表現し、
”祈り”が、なにを為そうとしているのか、
うまく言い当てているように感じた。

 「仏教で一つ、私が尊敬しているのは、神について話すことはできないということなんです。神様はキリスト教にもイスラム教にもヒンズー教にもあり、千の名前があると。(仏教では)神を説明すればそれは神様ではない。仏教は『仏に会えば仏を殺せ』というんですね。自分を深めれば、神様が自分から出て、すべてを生かす。何か生きたものとして、自分を生かしてくれるんですね。それで、漢字を使うか、ひらがなで書いた方がいいのか。でも『神』と漢字にするとイメージがつく。イメージがつくともう神ではないという教えですね」

 ニコラス神父はそれを踏まえた上で、こう続けた。

 「聖イグナチオの教えでは、神は説明するより、感じるものだと。愛とか希望とかにとらわれて自分がなくなったとき、初めて、ああ、これは自分ではない、神の霊、神の心が向いているのだと気づくと。そのようなあいまいな表現でしか暗示できない。説明すると、どうも違うと。神は説明のためじゃなくて、黙っていられないから言う言葉。他の言葉がないからそれを使う。大事なのは、どういうふうに歩んでいくか、そこに力を入れることなんです」

 神様は、考えるというより、感じるもの、ということか。

 「そう。自分から出て、自分より大きな良いものに自分の心を開く。アジアではよく、知恵のある人がお月様を指さす、愚か者は、その指を見ると言います。そういう表現が宗教にぴったりだと思います」

 身の回りの出来事だけで考えてもわからない、もっと遠くを見ろ、ということなのか。少しすっきりした気分になり、バチカンを後にした。


毎日新聞 2008年4月28日 東京夕刊