北京石景山游園

スーパードゥーパーのパペットが、着ぐるみになってます(^^;


1986年に開園したみたいだけど、こんなになっちゃったのは、最近なのかな?

近年来,北京石景山游乐园投入大量资金,新上亚洲最大的悬挂式过山车、世界最大的具有迪斯尼风格的大型主题项目琼斯探险、具有欧洲乐园风格的室内主题项目幽灵公馆以及代表了世界娱乐顶级科技的超级震撼“飞越极限”4D影院等一批高科技含量的主题项目,使石景山游乐园正朝着融知识性、趣味性、娱乐性、参与性为一体,具有欧美风格、国内一流的现代化大型主题乐园迈进。
http://www.bs-amusement-park.com/ChinaIn/newsmain-about.asp?id=29&cname=


ここ数年来、北京石景山遊園地は大量の資金を投入、新しくアジアの最大に行って式のジェット・コースター、世界最大のを掲げてディズニーの風格の大規模のテーマプロジェクトのジョーンズの探険を持って、ヨーロッパ楽園の風格の室内のテーマプロジェクトの幽霊の邸宅を持っておよび世界の娯楽のトップクラスの科学技術のスーパーを代表して“極限を飛び越えます”の4D映画館などのいくつかの高い科学技術の含有量のテーマプロジェクトを揺り動かして、石景山遊園地を向かって知識性、興味性、娯楽性、参与性に解けさせますは一体で、欧米の風格、国内の一流の現代化の大規模のテーマの楽園を持って邁進します。

”ディズニーランドに行くなら、北京石景山遊園地においで”みたいなキャッチフレーズが、webのそこここに。
安全性や顧客満足に注力している・・・といった言葉も。


とはいえ、GoogleEarthで観たところ、ディズニーランドとはまったく違う設計思想です。
パークそのものの面積も、やや小さい。周囲に付帯設備を設ける余地も無い。
奈良ドリームランドは、ディズニーの関与さえあればディズニーランドになりえそうだけど、北京石景山遊園地は無理そうだなぁ。


1998年は、こんな状態だったみたい。
奈良大学社会学部 松戸武彦 「北京うおう、サオウ日記」

遊具はみんな幼稚でつまらないということだった。実際、僕が始めていったときから遊具はほとんど更新されておらず、旧式であるように見えた。

それが最新式アミューズメントパークへと変貌を遂げるほど、北京経済は発展してるということなんだろうなぁ。
碁盤の目状の道路といい、周囲の宅地化具合といい、隣に高速道路が走ってるところといい、アナハイム周辺となんだかとっても似て居ます。
アナハイムよりも都心に近いし、メインアクセスは鉄道みたいだけれど。
高速道路はさんで隣り合わせた公園まで含めると、アナハイムのディズニーランドリゾートよりも広そうだなぁ。



一方上海には、美国夢幻楽園(アメリカンドリーム)というのが10年ほど前にオープンしてて。でも開園当初、お客さんが見込みの1/7位しか来なかったみたい。
http://www.pref.ibaraki.jp/bukyoku/seikan/kokuko/shanghai/business/97/repo9708.htm
http://www.mrisys.net/SHANGHAI/YOKA/BackNO.html
今も営業してるっぽいんだけれど、詳しい情報をなかなか見つけられず。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLJ,GGLJ:2006-48,GGLJ:ja&q=%e7%be%8e%e5%9b%bd%e6%a2%a6%e5%b9%bb%e4%b9%90%e5%9b%ad
住所表示を基にして、ようやくGoogleEarthで、それっぽい場所を発見しました。
立地条件は、北京以上にアナハイムっぽい。都心からの距離・高速道路のそば・車だけがアクセス手段・周囲は公園っぽい宅地開発。
公園の構造もおおむね同心円状で、NDLほどじゃないけど、ディズニーランド的。
今も元気なら、かなり面白いことになってたろうけど・・・。
ロスアンゼルスみたいな車社会ではないからか、もっと都心に近くて地下鉄直結の別の遊園地に人気があるみたい。


それに、上海はビジネスの街だから、北京みたいな強引なパクリは受け入れられないかもなぁ。

Re: 北京石景山游園 BigLove - 2007/05/04(Fri) 05:56 No.11149

ちょっと思い出話を。

20年前。
上海を歩いていると、みゅさんがよくかぶってるような鳥打帽をかぶった、エキゾチックな顔立ちの男の人が次々近くに寄ってきて、小さな声で「チェンジ マネー」ってささやくんだ。
彼らが持ってる”人民元”を、僕たち外国人が持ってる”兌換元”と両替してくれ・・・という意味。公式レートは1人民元=1兌換元なんだけど、2-3倍の好条件を提示してくれたような記憶がある。

なぜそんな男たちがたくさん居たのか。4週間後、ウルムチから上海に飛行機で戻ってきたときにわかった。機内は鳥打帽の男たちだらけ。
ちょうど市場経済化が始まったころ。
彼らは事業に成功し、裕福になったひとたち。旅行もかなり自由になり、あこがれの大都会・上海へと、多額なお金をぽんと出して、生まれて始めての飛行機旅行。
でも・・・彼らが持ってる人民元(外貨と両替できない)では、ウルムチでも買えるようものしか買えない。人気がある商品を置いてあるのは、外国人専用のお店。そこでは兌換元(外貨と両替できる)しか使えない。


それが1987年。
その20年ほど前は、日本も、円を自由にドルと両替できなかった。海外旅行しようにも、持ち出せる金額に制限があったから、観光旅行なんて困難だった。