ありのままを感じる・脳のめがねをはずす

ほぼ日刊イトイ新聞 - カナ式ラテン生活。というエッセイと出会いました。
Yahoo Japanの日本人初ウェブサーファーだった女性が、スペインへ移住し。
「典型的脳人間」だったのが、「ありのままを感じ、味わう」ようにどんどんなっていく。
文化の違いに出会い、生き死にに直面し、楽しむことを学び。


面白いです。特に、直近になるほど、文章が生き生きしてきて。
印象に残った記事から、いくつか抜粋。

そういう話をたくさん聞いているうちに、
「つまり、赤ちゃんなるものは『縁』があれば
お日さまの下に出てきてくれるってことなんだね」
と、
わりと腹を据えて考えられるようになってきました。
ありがとうございます。


ちょうど先週、中学の同級生(妊娠6ヶ月)から
届いたメール。
誰もが認める頑張りやさんの彼女・Oちゃんが

妊娠して初めて自分でコントロールできないモノに
ぶち当たった気がします(笑)。

と、言っていた。
読んで、(そうそう!)と頷いた。
私もまた、ガガガガ、頑張ってきたもんなぁ。
それはもう「人事を尽くして天命を変えたらぁ!」と
握りこぶしも高々と、
全打席予告ホームラン!!の勢い。

それを「正しい」と思っていたし、
「正しいのだから、みんなもそうしないと!」と
学級委員長的に思っていたし
(Oちゃんと私は、生徒会で知り合ったのだ)、
まぁ成功すりゃ達成感なんかもあったりした。

でもそれは、はたして、
楽しかったかしら?
うーん、少なくとも、まわりのひとたちを
あんまり楽しい気分にはさせなかっただろうなぁ。


やがて結婚というのをして、
どうもいろいろ合わない人間と生活を共にして
いちいち思い通りにならないことばっかりで、
でも、気がつくと、ずっと自由になっていた。
(※「結婚して自由になる」は、糸井さんの名言)

さらにスペインなんていう
ママ大好きで自分大好きで故郷がいちばんで
シエスタでフィエスタで「なんでも、明日!」な
いろいろダメーなかんじの謎の国に住んでみて、
気がつくと「正しい」が、
ぜんぜん偉く思えなくなっていた。

そうして私は、わりとすごくハッピーになっていた。
それは、予告ホームランが実現してくれる
「想像どおりのサクセス」とはまったく違う、
ウッヒャッヒャッヒャ楽しいハッピーだ。


ひょっとしたら、
赤ちゃんというお客さまがうちに来るというのも
そういうことなのかしら?

「スペイン人は偉いねぇ」
 なんて他人事のような話になるかもしれない。
 んでも、あれっすよ、
 日本にはヒロシマナガサキがあるですよ。
 あれは戦争での話だけど、とても悲しい話だけど、
「テロ的なものにテロ的なもので対抗する」
 以外の選択肢を、
 日本はとっくに知っとっとよ。まーじーで。


 テロ後、タクシーに乗るたび運転手と話し込んだ。
 もちろんそれぞれに知り合いじゃないけど、
 私がナガサキ出身だというと、
 本当に誰もが、ふっと気持ちを寄せてくれる。
 そんなあるひとが言ったせりふが、忘れられない。


「今度の列車爆破テロもそうだ、
 イラクでもそうだろう、
 それにヒロシマナガサキでも、
 いつも死ぬのは
 毎日まじめに生きているふつうの労働者だよ。
 君で、俺だよ。
 誰ひとり、殺していいってことが、あるかい?」

‥‥なんで、こんなに悲しくなってしまうんだろう?
(考えた)
あ、大好きなコミュニケーションの場に、
このとき実は「私」がいないことに
気づいちゃうから、なのかな。
だって、
どこからか拾ってきたイメージに向かって喋ってるのは
ただの独り言、だもんね。

私は具体的なひとりの人間と、
いまここにいる湯川カナとして、
話がしたいんだなぁ。
そうみたいだよ、つくづく。

3つとも、ぜひ元記事を読んでみてください。
「めがねをかけてる」ってどういうことなのか、
ありのままを感じるって、どういうことなのか、
ひしひしと伝わってきました。