F1日本GP

お昼休みに、10分ほど音声だけ聞く。
鈴鹿で20年かぁ・・・。以前書いたような気がするけど、88・89年に見に行きました。生で聞く(というか、全身が総毛立つ)音圧の凄さ、生で観るフェラーリマルボロカラーの鮮やかさ。「生って、TV中継とは別物だぁ!!!」っていう体験でございました。


来年から富士。
鈴鹿の前、スーパーカーブームの頃だったか、富士でF1日本GPやったことがありました。嬉しかったなぁ・・・。だって、F1なんてそれまで、欧米でしか開催されないものだった。当時のレース場なんて、とってもワイルドで(^^)お子様が行ける様な所ではなかったけれど、大人になったら観る事が出来るじゃないか!TV中継なんて無かったけれど、新聞の結果報道を楽しみにしてました。
ところが、たしか2年目だったのかなぁ、進入禁止区域にお客さんが勝手に入りこんでて。接触した車が宙を舞ってそこに飛び込んで、死亡事故になっちゃった。で・・・次年度以降、日本GPキャンセルに。「なんで進入禁止区域に入りやがるんだ、馬鹿やろー!!!」と、死者に鞭打つようなことを、ご幼少のみぎりの私は想ったものでありました。
当時のサーキットは、ある意味無法地帯だったんだよなぁ。そもそもモータースポーツ自身が、日本社会一般からは、スポーツとして認知されてなかった。
そういえば、ロックコンサートも、当時の日本は無茶苦茶ワイルドで。札幌だったかのリッチー・ブラックモアズ レインボーのコンサートで圧死者が出たのって、やっぱりこの頃じゃぁ無かったっけか。
団塊の世代の方々って、ほんとワイルド。パワーも凄いけど、全体がうまくいくかどうかにあまり目配りしない傾向があるような気がします・・・そうじゃない人も、もちろんいらっしゃるけれど。


鈴鹿サーキットと、フジのF1中継が、モータースポーツをスポーツとして認知させたように、僕は思います。
鈴鹿だけは、昔からファミリー層の取り込みも本気で図っていたそうで、運営もお手洗いなんかの管理も、きちんとしていた。
88年のF1決勝。3・4コーナー外の自由席はただの芝生の土手。でもそこが最高の観戦ポイントだって、みな知ってるから、ひとりでも多く観戦できるようにびっちり詰めて整然と座って。スタート前、中継のアナウンサーが「いやぁ、2コーナーから逆バンクにかけての自由席、まったく人が微動だにしませんねぇ。模様が書いてあるかのようです!」そりゃそうだ、安易には動けないんだもん(^^;歩きに立つ人がいると、みなすすっと身をずらして道を創る。たくさんのひとの手を煩わせるのが判ってるから、お手洗いや買出しに行くのも最小限。一人で来てる見知らぬ隣人のぶんまで買ってきてあげたり。
わくわくしてて、期待むんむんで、びっちりで、和やかで。
レース展開も素晴らしくて印象深いけれど、なんといってもあの空気が忘れられないなぁ・・・。


一昨年だったか、8耐で久しぶりに訪ねた鈴鹿サーキット
あの空気は変わっていなかった。お客さんは和やかだし、スタッフは熱心だし。
そして、スタンドは格段に立派になりました!1-2コーナー外には立派な常設スタンドが。仮設スタンドも実に見事。
F1で収益が上がったから、そして、モータースポーツが認知されて、ほかのジャンルにもお客さんが来るようになったから・・・なんだろうなぁ。


やる気の無い三菱地所から、トヨタに経営が変わって、富士スピードウェイもすいぶんと変化した模様。
(あっ、そういえば、三井-京成連合とディズニーランド誘致を競った三菱グループの、建設候補地って富士山近くでしたよね。ひょっとしたら・・・富士スピードウェイつぶしてTDL・・・なんて可能性もあったのかなぁ?)
来年以降の日本GPも、盛況でありますように。


そして、鈴鹿サーキットに感謝。


P.S
そういえば決勝前夜。
鈴鹿サーキットホテルのレストランで夕食とってたら、2つ隣のテーブルで有名ドライバーたちがご飯食べてて。
ご飯持って来てくれたウェートレスさんが
「xxさんって、有名なんですか?」
「えぇ、今、セナやプロストの次に速いですよぉ!・・・どうして?」
「・・・”今晩、予定は空いてるかい?”ってさっき口説かれました(*^^*)」
「おぉ、さすがは世界最速を目指す男っ!!!仕掛けが素早い!」


P.S.2
ディアゴスティーニのF1ラジコン作りマガジンCMのBGM、どう聴いてもTRUTHを連想してしまう、その音色・曲調・構成。でもメロディーは微妙に違う。そのからだが痒くなるような快感、タモリさんのアルバム「タモリ3」を思い出しました。GJ!!!