印象に残った記事たち

僕が会社に属しながら、一人で何かのサービスを作ったものが出た時の反応が面白くて、「ニフティの・・」と呼ばれて、ネガティブな反応が多いんです。ここが使いにくいとか、ここをなんとかしろとか。いっぽうで伊藤直也という人間が作った別のサービスというのは、けっこうポジティブな意見が多くて、ここをこういうふうにしてくれたらもっとよくなるかもとか、作ってくれてありがとうみたいな意見が多かったんです。だから、1対1でお客さんがそのサービスに関われているという感覚がすごく大事で、そこが分かれ目だと思うんです。「はてなダイアリー」があれだけのユーザーに受け入れられているというのは、最初はユーザーの要望をひたすら吸い上げて、どんどん機能を追加していった。その時に、お客さんがこのサービスを作っている人と一対一で関われているなという感覚がすごく強かったと思うんです。そういうのがなかったらここまで近藤という人間が出てくることもなかったし、出てきたからこそそういうサービスになったんじゃないかなという気もします。

伊藤 大きな会社になるとサポート部隊というのが間に入るじゃないですか。ユーザーがどういうところに困っているとか、どういうところに不満を持っているとかが作っている側にダイレクトに伝わってこないんですよ。そこからふるいに掛けられて、これが重要そうなものというのを誰かが判断したものが来る。たぶん、重要なのは、ふるいにかけられる前のほんとのちょっとしたところだったりするんですよ。そういうのを聞いている会社かそうじゃないかが一番のポイントだと思いますね。

近藤 大きくなると、何か隠そうとしません? たとえば、何か調査をしたときに、あがった声をいきなりサイトに公開しちゃったりすると、なにかダメなんじゃないかみたいな感じがありますよね。ウチだったら全部出すんですよ。こんなこともらいましたと。それで、こういう理由で最後には、こういうことにしましたと、全部言って。

:普通は、自社のサイトをコントロールしたい、という気持ちが大きいんでしょうね。多くの人たちの意見を聞いて、そのまま出すってことは、コントロールできなくなる、ということですよね。
伊藤 大きい会社というのは、まずリスクを考えるので、これを出したらどうなっちゃう、というリスクばかりを考えて尻込みしちゃうと思うんですけど。「はてな」は、そこをまったく考えないでどんどんやっちゃう

:多くの日本企業がブログを顧客との関係改善やサポートのために導入したいと考えていますが、踏みとどまっている点は、「批判的なコメントがたくさん来てしまったらどうしよう」という部分です。しかし、そこを恐れてはいけないのですね。

 はい、批判的な意見が来るのを恐れずに、それに対していかに対処するかが重要です。本質的には、ブログという仕組みがうまく機能することを信じるかどうかです。消費者は最終的に、批判も含めて人々の声をダイレクトに聞いてくれる企業を評価するでしょう。また、私たちのサイトではコメント機能はオフにして、トラックバックのみを受け付けています。これも、ひとつの方法です。

 なぜトラックバック機能のみにするかというと、すべての意見はそれぞれの個人サイトに書き込まれることになるからです。そのサイトに他人の悪口ばかり書かれていたら、誰もその人の意見を真剣には受け取らなくなるでしょう。ですから、批判する側も、自分のウェブサイトにきちんとした内容のコメントを書き、建設的な議論ができるようになるのです。実際、トラックバック先を読んでみると、何時間もかけて書いたような長いコメントや論考が多くあります。私たちの製品について、ここまで親身になって考えてくれる人達は、本当に貴重です。

――で、あなたの独占商業ソフトとフリー……

 いやちょっと待って、その「独占」と「商業」ってのは全然ちがう概念だってことに注意して。「商業」は金銭的な話。「独占」というのは、ユーザに許されている行動の話。ソースが公開されていること、変更が認められること、コピーが許されること。それがなければ独占ソフトで、フリーソフトとは相反する。一方で商業ソフトとフリーソフトは相反しない。
(中略)
社会として考えるべきなのは、音楽や著作で生計をたてられる人を増やすことだ。その手段が、著作権だよね。でもこれは非常に効率が悪い。音楽家の多くはレコードを出しても全然金が入ってこないようになってる。そのうえ、利用者のコピーの自由も奪う。最近、一部のアーティストが音楽をインターネット上で公開して、コピー自由にした。そのうえで、ネット上で直接自分のCDを売っている。GPLの音楽版だよね。これだと、今のレコード会社との契約より販売枚数は減っても、手元に入る金額は増える。

 本でもあるよ。だれかがコンピュータの教科書を書いて、ネット上においてコピー自由にした。そのうえで、気に入ったら金を送ってくれという方式にしたら、それでかなりの金が送られてきたんだって。つまり著作権を含め、強制的に支払いを求めるような方式は不要なんじゃないか。自発的な支払いだけで十分じゃないかってことだよね。
――それってみんなの良心と正直さに依存したシステムですよね。でも多くの社会システムは、不信を前提にしているんじゃないですか。

 ナンセンス!! あらゆる社会は信頼を前提にしているんだ。人が殺人したり泥棒したりしないのは、法律で禁止されてるからじゃない。信頼が基本で、それ以外はすべて例外的な状況なんだ!

 独占ソフトは人間の利己心をあおる。もちろん人間には利己的な面はあるけれど、ビジネスは、それが人間の唯一の面だという。でたらめだね。フリーソフトは、利己心を捨て去れとは言わない。ただ、それを発現する時に他人の自由を犠牲にしないでとは言う。愛他心や親切を強要しない。でもきみだってたまには友達を助けたいと思うだろう。独占ソフトは、それを禁じてしまうから悪なんだ。
――……たぶんあなたは、この種の話は何回もしていると思います。が、みんながすんなり理解するとは思えません。どこでみんなつまづくんでしょう。

 まず「フリー」ということばだろう。これが金の話じゃない、というところ。これは日本語の「じゆう」で、フリーソフトは自由なソフトなんだ。

 あと、みんなすぐに誤解に基づいて単純化したレッテルで考えたがる。rmsは独占ソフトに反対してるから共産主義者だ、とか、あるいは金を儲けてる連中がねたましいので無料で配れなんて言ってるんだとか。みんな金のことばかり考えてるので、それ以外のプライオリティがあるなんて想像できないんだな。ぼくは営利に反対したことはない。ソフトの販売にも賛成だよ。ぼくが問題にしているのは、自分でなおせない、人に分け与えることができない、ということなんだ。そういう自由を奪うのはいけない。自由の問題。これをわかってほしい。
――講演で、昔からパスワードは使わなかったしコンピュータにセキュリティはいっさい入れなかったとおっしゃってましたね。

 うん。銀行や軍事施設なんかでは、まあセキュリティは意味のあることかもしれないけれど、コンピュータの研究室でそれが必要というのは社会的崩壊のしるしだと思う。

――(!!!)社会崩壊、ですか!

 うん。それはつまり、症状を治して病気を悪化させているようなものだ。ここでいう病気というのは、人間的な暖かさとか、本当に価値のあるものから断絶してしまっている若者だよね。それが唯一反抗して注目を集める手としてクラッカーになって、他人のシステムに侵入してみせる。そしてそれでかれらが集める「注目」というのは、通常は嫌悪と敵意でしかない。セキュリティはそういう敵意の発現なんだ。

伊藤 でも、実は僕たちなにも作りたくないんじゃないか?って気も一方でするんですけどね(笑)。そのことに直面したくないから、BTRONみたいに、さあ、なんでも自分で好きなもん作ってくれっていう環境の前に出ると、なんにもしようがなくて戸惑ってしまう、っていう。日々の新製品競争の喧騒に身を委ねている方が「俺はほんとはなにもしたいことがないんじゃないか!?」ってことがバレずにすむんじゃないかって気も、僕はちょっとするんですよね(笑)。

坂村 それ言っちゃうとおしまいじゃない。よわっちゃったなー(笑)。
(中略)
伊藤  ……だけど、速いマシンが出て悪いことってなんかありますかね。

坂村 いや、ないよ。速いマシンが出ること自体が悪いことはなにもない。

伊藤 すると廃棄物の問題だけですか。産業構造のことを抜きにして考えたらですけど、速いマシンが次々に出ることは問題になりますよね。

坂村 その意味ではもちろん問題ありますよ。廃棄物として考えたら、コンピュータは有害物質の固まりだからね。世の中が不況だからなかなか難しいけど、根本的な考え方を変えた方がいい。こういうものの売り上げを伸ばすことで今の経済の安定を図って、それで社会がどうにか転がって行ったとしても、本当に人類の未来はあるのか?って思っちゃうよね。もっと大きな意味での産業の構造転換をしないといけないんじゃないか。