ヒロシマ・オキナワが教えてくれたもの

日米の学生が10日間、広島と沖縄をまわるのに同行取材。
今は仲良く旅している同士、でも時代が違えば、敵味方に分かれて殺し合いをしていた。
・・・そのことに実感をもてるひと、もてないひと。
実感が持てたとき、即、「どうしたら殺しあわなくて済むのだろうか」という問いが、切実なものになる。


住民の4人に1人が戦闘に巻き込まれて亡くなった沖縄。
米軍基地。海兵隊員とのふれあい
普天間移設候補地の反対運動
ひめゆり部隊の体験談。過酷な体験・・・友人が目の前で自殺しても泣かなかった。そんな中で、唯一涙が出た瞬間、それは、米兵に手当てを受け、それが罠でない・こころからのものだとわかったときだった。
野戦病院の設営を、昼は米軍・夜は日本軍の攻撃にさらされながら手伝った少年。結局、軍隊は自分たちを守れなかった・・・そんな体験から得た平和への生き方。「イチャリバチョーデー・一度会えば兄弟」


イチャリバチョーデー・・・だってわかったら、殺せないし、闘えない。


資料館の展示も、実感をもってもらうべく改善が続けられている。
でも、それで実感をもてない学生も・・・。
今はまだ、過酷な現実を体験した人々が、生きておられる。
その声に触れたとき、彼の顔が変わった。


同行取材の感想ひとこと

最初学生たちは、ためらいなく軍事力は必要だと言っていた。その顔つきが、どんどん旅の中で変わって行ったのが印象的でした。