祭る

キリスト教的考え方では、邪な力を持ったもの、つまり悪魔は、退治すべきものです。しかし神道では、そうしたものを退治するのではなく、むしろ祭って、なだめることによって、善なる神に転化させようと考えます。それは、それができるという信仰があるからです。」


これは西洋医学的な悪くなった細胞は退治する、取り除いてしまうという考え方と、東洋医学的な悪くなっているのはバランスが一時的に崩れているだけだから、それを元の正常な状態に転化させようとする考え方の関係と同じだなと思いました。

操体の施術では、まさに悪くなってしまった細胞の「怒りをなだめる」「魂を鎮める」ことによって元の状態に転化させていきます。

そのときに必要なのはご本人の身体へ対する謝罪の心と感謝の心です。

最近の心理学、アーノルド・ミンデルさんのプロセスワークや、アンドレアス夫妻のコア・トランスフォーメーション手法とも共通してますね!


キリストの教えも本来は、「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」という言葉に示されるように、敵・悪・邪を自分と切り離さず、愛して統合することが大切だと説いているように想います。


組織に求心力を持たせ、固める為には、外部に敵・悪・邪を想定し、不安を掻き立てることが安易な手法。教えが歪んでいきがちなのは、このためなんじゃぁないかなぁ・・・。


全体とのつながりを回復する。愛の対象をどこまでも拡げる。すべてに感謝する。
すると、ありのままの今を感じられ、なにを創れば素敵かが観える。
こういう在り方が、各々の魅力を引き出し、より素晴らしい未来を築くことにつながるんだと想います。