なにが人生の「勝ち」か

靖国問題・勝ち組負け組・自分を見失う若者。みな表題の問いに深く関連していますね。


日本人のあり方と絡めて、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」をわかりやすく説明した記事をみつけました。
http://blog.so-net.ne.jp/katuo/2005-06-23


囚人のジレンマ」というこのゲームにおいて、自分により多くの得点をもたらすためには、下記が最適解だとされています。
まず最初は、ハトとして相手と接してみる。そして、

「相手がタカなら俺もタカ、相手がハトなら俺もハトになる」と公言し、
それを必ず実行する。


さて。この最適解を採用すると、長期的にはどうなるでしょう。
ハトばかりになっていきます。世界が破滅しない限りは。


ただしこの最適解、短所があります。
陣営の形成と、陣営間の激しい闘争を生みがちなんです。身内にはハトとして接しあい交流が深まる一方、タカとして接する同士は敵陣営になってしまう。
そして。
陣営内では、相互依存が進みがち。はじかれると生きてゆけない。タカとして認識されたくないがゆえに、対立の芽を必死で押さえ込む。周りを見回してください。「争いを恐れ、表面的な仲良しグループを維持したいがゆえに、自分の本心を押さえ込む。ストレスがたまる。自分を見失う。」なんてひと、実に多いですよね!!!
逆に、敵陣営とは「敵」としてのみの接触になりますから、どんどん「タカ」としての側面が深まっていく。「タカ」が「ハト」に見えなおすチャンスがどんどん失われていく。接触を避けていられる間はまだいいのですが、地球は狭い。ひとは成長に伴い活動を活発化させます。やがて、激烈な奪い合いを陣営間で・・・となりがちです。下手すると自陣営の、やがて地球の破滅に(^^;;;。


では、どうしたら、陣営が解消され、ハトばかりになるのでしょう。
ゲーム理論が見落としていることがあるんです。
ひとつは、系(仲間・社会・地球)全体の得点(価値)を増やしていかないと、系そのものが存続できないということ。
もうひとつは、得点(価値)の源泉はどこにあるのか・・・ということ。
そしてさらにいえば、そもそもなにが「得点」で「価値」で「勝ち」なのかということ。
さぁて、これをどう判りやすく記述すればいいかなぁ・・・


「社会全体のプラスを増やすことが、究極、自分のメリットだ」と明確に見える社会なら、その内側はハトばかりになります。だから、身内が形成され、陣営が形成される。
そしてその規模が、「身内」から、国家へ、地球へと、歴史の進展と交流の拡大と技術の進歩によって、飛躍的に大きくなりつつある。


価値は、ひとから取ってこなくったって、自分で生み出すことができます。創造性という資源は無尽蔵。使えば使うほど豊かになる。
そして、至るところに価値の畑がある。自分ならではの畑を見出し、自分ならではの価値を創造することができる。


そして根源的に。
なにを価値基準にして「ハト」に見え、「タカ」に見えるのでしょう。
なにを与えられ、なにを奪われたような気がしているのでしょう。
それって、本当に大切な価値なんでしょうか。

お金・服・食事 etc。。。
生きている限り欲というものはつきないものです。
でも心が幸せでないと、いつまでも幸せ探しをしていく気がします。

面子・名誉欲・支配欲・帰属意識・・・なんてのも欲ですね。
そもそも他人から奪ってきたものに、価値ってほんとにあるのでしょうか。
アドラーという心理学者はこんなふうに言っています。

「人生とは闘争である」というライフスタイルを持っている人は、最終的に失敗する。なぜなら、勝ち続けることなんてできないから、ついに満足を手に入れることが出来ない。
「人生とは協働による創造である」というライフスタイルが健全かつうまくいく。

・・・真実だと想います。
人生の意味って、自分がどれだけ創造性を発揮するかにある。それこそが「勝ち」で「価値」だと、言い切ることもできそう。
赤ちゃんって、なにしてるわけじゃないんだけれど、とっても創造性豊か。幸せを、よろこびを、周囲に放射してますね。さて、あれこれ出来る我々大人は、赤ちゃん以上に創造的で在れる・・・はずなのだけれど、得てして奪うことや認めてもらうことに汲々としてたりして(^^;;;


自分に最大のプラスをもたらす方法。シンプルです。

  • まず、正直になること。ありのままの自分をよく観察し、陰陽両面、総合的に捉えること。
  • 自分の人生で大切な「プラス」ってなんなのか、問い続け、創造し続けること。
  • どんな素敵さを創造しうるか、探求し、描き、語り合い、行動し続けること。
  • どうすることが地球全体にプラスになるのか、把握し、実践すること。

個人主義を突き詰めていくと、他人を思いやる必然性が出てくる故に、平和主義にぶつかっていく”

・・・至言。