スピリチュアルとメンタル

「健康とは身体的、精神的、社会的、かつ霊的(スピリチュアル)に完全なひとつの幸福のダイナミカルな状態を意味し、決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」

(WHO:世界保健機構にて、1999年に健康憲章改定案として提案された新しい定義)

(中略)

原文はこれ
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity

なるほど、スピリチュアルな健康というのは、メンタルな健康と違う領域に、確かにあるなぁ。
感性・感受性・望み・愛・エネルギーの領域がスピリチュアル。
感情・思考の領域がメンタル。
・・・そう言えそう。

ちなみにこの文章のスピリチュアルの部分について厚労省はどう取り扱って良いのやら戸惑っているとかいないとか。

これはある意味、「スピリット」をどう訳すかという問題ですよねぇ・・・。

たとえば、メンタルを心理、スピリチュアルを精神と訳すと、かなり近いような気がします。
「健康とは身体的、心理的、社会的、かつ精神的に完全なひとつの幸福のダイナミカルな状態を意味し、決して単なる病気や障害の不在を意味するものではない。」・・・ほらね!

元来、精神医療という言葉は、感性や感受性の領域まで視野に置いていたと言っちゃえそう。特定の宗教とのしがらみが薄い日本ならではのメリットなのかもしれません。

心理学の進歩に伴い、心、魂、精神、霊・・・このあたりの日本語の、再定義が必要になってきてるとも言えそうですね。

厚労省もそのうちスピリチュアルに関するなんらかの政策でも打たなくてはならなくなるのだろうか。まあ、WHOから「あなたの国はスピリチュアル的な改善が必要です」なんていう勧告が来るとはさすがに思いませんが。

いや、勧告、来るでしょう(^^)
たとえば、都市化が進んでるから、自然と触れる機会を提供する取り組みをしろとか、
優れた文芸作品・絵画・演劇・音楽などに触れる機会をたくさん提供しろとか、
感性を磨くようなワークショップを開催しろとか。
心理面の施策・・・という観点とは違う、精神面の施策って、たぁくさんありそう。

脱産業社会に向けての課題(Ⅳ)―「レジャー概念」検討の自分史―で紹介した論文で言う「レジャー」の重要性って、この「精神面の(スピリチュアルな)健康」に密接に結びついてますね。


(5/31追記)
過去書いたこんな記事も見つけました。

人間を身体(物質・ハードウェア)と魂(エネルギー)と心(ソフトウェア)に区分したならば、
「生きるとは、本来自由な魂が、制約の多い肉体をわざわざまとうこと」・・・と定義できますね。
だとしたら。身体感覚を魂が経験することこそが、生きている意味ってことになる。
結果、心が成長する。ソフトウェアが「よりうまくいく」ように改良される訳ですね(^^)。

身体的・精神的・心理的健康は、人間のハードウェア・エネルギー・ソフトウェアの健全性とも説明できそうですね。そして、社会的健康は、環境の健全性と言えるのかな。


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