私がBlogを書き続けてる理由

日記なんて自主的につけたことが無い。
夏休みの絵日記だって、新学期が始まる直前にまとめて書いてたこの私。


なのに、この”BigLoveの日記”は、始めてから1年2ヶ月、ずっと書き続けてます。
なんでだろ?
過去何回か振り返ってますが、今の時点で感じていることをもう一度書き出してみましょう。


1. スクラップブックとして便利
勤務先からも自宅からもアクセスでき、かつ、推敲尾や後編集が出来るので、思いつきをぱぱっとメモし、練っていくのにとっても便利でした。
web上の情報に刺激された発想の場合、元記事へのリンクも残せるし、引用も簡単。
しかも、自動でキーワードにリンクされたり、おとなり日記がリストアップされたりするので、そこから発想が広がったり、磨かれたり。
ただ・・・現在は、勤務先からのアクセスが出来ません。なのに、書き続けてる。なぜだろう。


2. 公開の場での推敲
勤務先からここの編集が出来なくなったため、ココログに非公開のスクラップブックBlogを創り、代用してます。すると・・・そちらには毎日は書かない。書き留める内容も全然変わってきちゃう。こちらのほうが、書いてても読み返してても面白い。
それは・・・「公開の場」のエネルギーのように感じます。
風通しのいいところに、未成熟なアイディアをぽんと置く。すると、たとえ一切コメントがつかなくても、どんどんアイディアの輪郭がはっきりしてくる。より適切なことば、しっくり来る言い回しが見つかる。洗練されてくる。客観視できる。新しい視点からそのアイディアを見、違う切り口で捉え直したりもできる。
そのスピードたるや、素晴らしいものがあります。どんどん筆が走っちゃう。


ソクラテスが、街に出ては道行く人を捕まえて、時には独り言のように話しかけながら思考を洗練させていった・・・のって、こういう感じだったのかなぁ。
ソクラテスは、対話する相手が居ないときは、自分の中に話し相手を作って、自分ひとりで対話をしながら思考を発展させていた・・・と中学生のころだったか知って、喜んだ記憶があります。「おぉ!俺と一緒だ!!!」って(^^;
でもねぇ、さすがに僕は、街角に立って、誰かれなく捕まえて対話の相手になってもらう・・・なんて度胸は無かった(^^;;;うらやましかったです、古代ギリシャが(^^)
いや、別に誰も聴いて無くっていいんです。公開の場に、自分の言葉を投げ出してみるだけで。すると思考が、どんどん発展する。洗練される。磨かれる。
そんな場所、思考のスピードでそのまま言葉を公開できる場所を、ここに得た。どうやらそういうことのようです。
なまじフィルターを通さずに一旦書き出し、さらしてしまうから、言葉の鮮度がいい!
そして、公開の場に書き出してしまうと、その言葉を眺めなおしたときに、しっくりくる・こないが皮膚感覚でびびんとくる。だから面白いんだなぁ・・・・・。


結局。僕って最高にエゴイストだと想います。
物事の成り立ちやしくみを、僕自身がより深く、よりしっくりと理解し、語ることにしか興味が無い(^^)って事みたい。どうやら。
結果、そういう種類の向上心がある人しか、僕の周りには居られないみたいでもあります。最近つとにそう想うのです・・・。


いやぁ、この記事、ひときわ凄い勢いで筆が走ったなぁ。
あぁ、壮快っ!!!すっきりしたぁ!!!!!(^^)