自分探し4

ひできさんも、僕と同じテーマに出会っておられるんですね!
例によって、公開しながら推敲。ぼちぼちと書いていきます。

本当の自分とむなしい希望 Pandora's box http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/11/pandoras_box.html より
「本当の自分の基準は結局のところ、自分が満足できる自分が達成できているかどうかにすぎない。また、その基準は人とのかかわりの中でしか確認できない。そして、人もみんな苦しみながら生きているのだから、あなたもいまここで満足する以外に法はないことを悟りなさい。」

> その基準は人とのかかわりの中でしか確認できない。
たぶんそうではないのだろうと、僕は想います。
無人島で一人っきりで生活せざるを得なくなったとしても、今日創ったこの食器が、最高の出来栄えか、もっと素晴らしいものにできるか、という実感はあるはず。
それは、実用に十分か否かという基準とは別に。
社会的に刷り込まれた記号との照合とは別に。


幸せ探しってのも、よく言われますよね。幸せに関しても、僕はこう想うんです。

http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20041114#p2
、「愛」も「幸せ」も、何の前提条件もなく、創り出す事が出来る。自分さえ居れば、ほかに何にも無くっても。おそらく熟達すれば、どんな環境下でも。
われわれという存在そのものが、「愛」から生み出されている。そのことを実感したとき「幸せ」なのかもしれないなぁ。

ここが出発点なのではないでしょうか。
そして、物理的肉体や、外的存在があることで、「愛」を表現し、磨く機会が生まれる。

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H-Yamaguchi.net: 生命の重さと自分探し http://www.h-yamaguchi.net/2004/11/post_2.html より
たくさんの子供を殺して最近死刑になった犯罪者のように、電気椅子で殺されるのはどうか。さしたる苦しみもなく死ねるならよいと思うだろうか(この犯罪者は死刑を望んでいたようだが、自分から死のうとはしなかったようだ。なぜだろう)。

自分で自分を殺す自殺と、自分が他人から殺される処刑とでは、彼にとっては意味が違ったのでしょうね。どう違ったのかは、彼自身しか知らない。それを聞く機会は、もうない・・・。


自分探し・・・といっても、いろんなレベルがあるのかもしれませんね。
存在を見失ってるのか、感性が曇ってしまっているのか、目標を見定めたいのか、意義を感じたいのか。

Amazon.co.jp: カスタマーレビュー DVD: 太陽を盗んだ男 ULTIMATE PREMIUM EDITION http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/dvd/B00005NDHD/customer-reviews/249-1323078-6844327 より

 バス・ジャック犯は戦死した息子のことを知りたくて銃と手榴弾という武装天皇との面会を求めます。旧式の武装で国家に対して壮大な要求がなされるのです。

 一方、後に原爆という壮大な武装で城戸が国家に突きつける要求の「程度」は、苦笑を禁じえないほど滑稽です。バス・ジャック犯との大きな落差は、戦後から70年代にかけて日本が経てきた時代格差の反映です。「何をしたいのか分からない…」という感覚を多くの若者の心に残してしまった時代差ともいえます。

 その意味でこの映画は時代の空気を正確に写し取った作品といえます。そして残念なことに、「何言っているんだよ、城戸先生」と言えるだけの確信を持った若者が25年後の今の日本にそれほど多くはいないからこそ、この作品は今も十分通用する映画であり続けるのです。
 なかなか見事な映画といえます。

太陽を盗んだ男」って、自分探しの映画だと言えるかも。
個々人の発揮できる力は、年々、増している。たとえばwebによって。それをどう活かしたいのかが、わからない・・・って現象、起きているかもなぁ。
いや、そういう問題意識って、ずっと僕の中にあったのだけれど、それは多分にこの映画の影響だなぁ、きっと。