自分で自分にかけているマインドコントロール

ユリーカ!〜仏陀の悟りに到る道〜: マインド・コントロールと解脱 http://mind.moo.jp/cgi/mt/archives/2004/10/post_69.php より

宗教は、マインド・コントロールだと批判する人々がいる。
確かに、オウム教など、マインド・コントロールを悪用した教団はあった。
しかし、本当の宗教は、マインド・コントロールからの解放をもたらす。
むしろ、仏陀は、他ならぬ私達全員が、
マインドコントロールされている事実に気付けと教えている。
私たちは、生まれてよりの教育、環境、信条、慣習、常識等によって
ある特定の思考パターンというものが植え付けられている。
私たちは自分で自由意志があるように思っているが、
実は「無明」という催眠状態にあり、
条件づけられた思考の支配下におかれている。
これは、条件反射的無意識とも呼ばれる状態で、
パブロフの犬が、本来餌と何も関係のない鈴の音を聞いて涎を流すように、
お金や名声を見ては興奮する条件反射の連続で24時間を過ごしている。
むなしい思考パターンの機械的繰り返しの中で操り人形と化している。
この凝り固まった心の状態を、仏教では「有(う)」と言う。

たとえば、2chの釣り発言には、発言者の縛られてる思考パターンがしばしばはっきり現れますね。
それが虚偽の発言であれば、なおはっきりと。

  • 「普通」でなきゃいけない
  • 人に優劣をつけてはいけない
  • わがままはいけない
  • 仕事が暇ではいけない
  • 好き嫌いを優先して生きるのは正直な生き方でいい
  • いや、自分を殺してまわりの望みにあわせるのがいい
  • 苦労すれば報いられて当然
  • しなくて良い苦労をするのは愚か者
  • 誰かが勝てば、誰かは負ける
  • 損害を回復しようするときだけ、人は一生懸命動く
  • いや、得があるからこそ、人は動くもんだ
  • 受け身な人はおとなしい
  • 踊らなければいけない
  • 世間様教は悪い
  • 自己弁護は悪い
  • 人の目を気にするのはかっこ悪い
  • 死は悪い
  • 常識は守らなきゃいけない


せめて、なぜ、いい・悪いと考えるのか、それを語ればいいのにね。


「むなしい思考パターンの機械的繰り返し」から脱却してるときは、どうなるのか。僕自身、体験がまだ浅いのですが、こんなことが起きています。

  • 悲しみから喜びまで、幅広い感情を同時に感じる。
  • 感情に行動を左右されにくくなる。
  • 感情というよりも、その場のエネルギーを感じ取り、共鳴するようになる。
  • ありのままの今を、鮮やかに深く、感じられる。
  • 質の高い、低いを、(好き嫌いとは切り離して)見分けられる。
  • 「こんな素敵な状態をもたらしうる」と、洞察が働く。
  • 「こうしたほうがより素敵になりそう」という、直感が鋭くなる。
  • 現況を、資源として活かせるようになる。


まだまだ、僕自身「むなしい思考パターン」に縛られてます。正邪とか、善悪とか、収入を失う恐怖とか、失敗への恐怖とか、成功への恐怖とか。こういうのって、自分自身が一番観ないから、たちが悪い。

本当の宗教は、マインド・コントロールからの解放をもたらす。

そうなんでしょうね。
自己探求セミナーも、本来そう。どんな「むなしい思考パターン」にはまってるか、気づき、抜け出し、創造性を発揮するための、心理学的・哲学的実習を集めたものですから。あ、少なくとも僕が知ってるやつは。


でもそれが、えてして新たな「むなしい思考パターン」へのしがみつきをもたらすことが、あるんでしょうね。「教祖様のことば」とか「教義」とか。これが、

宗教は、マインド・コントロールだと批判する人々がいる。

一因なのでしょう、たぶん。
自己探求セミナーの場合は、得てして自分を縛ってた「むなしい思考パターン」の逆を、新しい「むなしい思考パターン」にしてしまう時期がありがちかもしれないなぁ。
たとえば「人から悪く言われないことが一番大切」だった人が、そのデメリットに気づき、ショックを受けたあまり「人から悪く言われても気にしないことが正しい」になっちゃったり。
でもね、ほんとは人から悪く言われないことも大切でしょ。もっと大切にすべきことが時にはあったりするだけで。


もうひとつ想い付く理由は・・・あるマインド・コントロールにかかってる人からは、同じマインド・コントロールにかかっていない人が変に見えちゃう(^^;;;たぶん、それゆえ。
例えば「鬼畜米英」って信じきってた人は、そうじゃない人を「非国民」だって、心の底から思ってたんだろうなぁ。「人は損得でしか動かない」って思い込んでる人には、損得で動かない人が理解不能の化け物のように感じられたりしちゃう。

目覚めたる者は問う。
「何ゆえに、お金や物がそれほど素晴らしいと思うのか。
人の評判に気を擦り減らす必要があるのか。
それこそが、現代の悪しきマインド・コントロールである。
そうしたこの世的な鎧を一個一個外し、
本来の軽快で自由な姿を取り戻し、解脱の境地を味わえ」と。

「この世的な鎧を一個一個外し」という作業、あえて自分の未踏領域に挑戦するといいみたい。
例えば2ヶ月前、僕は人前で歌うのは平気だけれど、踊るのは恥ずかしかった。
ティピコ・オリエンタルの求めに応じて踊りはしたものの、当初猛烈に人目が気になった。
「いやぁ、こんなに人からどう観られるか、俺って気になるんだ!!!」・・・と自分自身驚くほどに。
それが、踊り続けるうち、どんどん変わっていく。いろんな出会いがあって。自分の内面が変わって。スキルが向上して。
結果、2ヶ月前よりも、また格段に、僕は軽快で自由になってる。