スローライフと老子哲学

http://homepage3.nifty.com/hidefuurai/rohsi.html
とてもわかりやすく、体験と引き合いやすい形で書かれている。
陰陽の、陽を目指す上昇志向が孔子、陰の立場に身を置くことを説くのが老子・・・なるほど。

実際、道は母性的な特徴を持っている。

「道」は、万物を生み出しながら、それを所有しようとはしない(「生じて有せず」)。また、万物を育てながら、それを支配しようとしない(「長じて宰らず」)。道は万物を生み出して育てながら、静かにそれを見守っているだけで、あれこれ口出しをしない。これはいったい何故だろうか。


万物を生み出すときに、それぞれに徳(生得能力、生得の知能)を付与しているからなのだ。この所与の徳の枠内で生きていれば、人は安らかな一生を送れるからなのである。

なるほどなぁ・・・
そういえば清里自然塾で「見守ることの大切さ」を講師が話題にされた。「見守る」に該当する英語って無いそうで。
「自然の摂理に沿って、起こるべき事が起こる」・・・と信じて見守る。
http://homepage3.nifty.com/hidefuurai/wide.htmlで触れられてる、1ヶ月漂流した船長、武智三繁さんの在りかたに通ずるものがあるなぁ。

老子は、社会生活や公務を重視し、私生活をそのための手段と見る風潮を逆転させて、個人生活を重視する立場を打ち出している。「早服」とは、社会生活を早めに切り上げて、私生活に環帰することを意味する。老子の考える理想的な国家は、こうした個人が寄り集まった自足的な集団であり、鶏や犬の鳴き声が聞こえるような近さにあっても、互いに行き来しないでいるような自立的な国家だった。

僕の現状って、案外これに近いなぁ(^^;;;
そのことを、脳みそは寂しく思ったり、罪悪感を感じてしまったりしているんだけれど、本当は僕自身が望んでいるからこそ、この状態であるはず。
「これこそが、俺の望んでいる状態なんだ」と認め、功名心を手放し、あるがままをもっと味わえば、腰痛や肩こりやだるさが解消するんだな・・・きっと(^^)

老子は、自分には三つの宝があるといっている。


一に曰く、慈
二に曰く、倹
三に曰く、敢えて天下の先たらず


この三つは、逆の順序に置き換えると、分かりやすくなる。
人を凌いで先に立とうとすれば、頑張りすぎてエネルギーを消耗させてしまう。「退譲」によって、力の漏出を防ぎ、さらに「倹」によってエネルギーを蓄える。こうして得た余力を「慈」に振り向けるのである。


老子の慈は、孔子の仁に比べると力強さに欠ける。それは、広く薄く、ゆるやかに拡がる愛だからである。慈は、それ故に変動することなく持続する。この愛を実践して、人は初めて「道」と繋がることができる。

「慈」かぁ。テロがなくなる方向の愛、そして、エコロジーな愛だよなぁ。