その時歴史は動いた 第189回 人見絹枝

http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
滅私奉公の強さともろさとを感じた。
闘う人生を送らざるを得なかった人、そして、奉仕を生きた人なんだなぁと想った。

少し前の毎日新聞で、もし彼女が早世しなかったなら、その後の女子スポーツの発展はもっと早かったろうと書かれていた・・・ように記憶している。

もし、滅私奉公せずに済んでいたなら。長生きされたなら。そうはならなかったところに、また意味があるのだろうけれど・・・。

「人生はすべて戦いです、女も戦う時代なのです。強い意志、丈夫な肉体、フェアな精神はすべて、スポーツによって育まれるのです。」

「向上、進歩するには苦しみがあります。しかし、その苦しみもいつかは実になって表れるときがあるのです。私のモットーは唯これ一つです。『努める者は何時か恵まれる』」 

女子が競技するのを白眼視するような時代の中、人見絹枝さんたちの尽力により、大きく社会が変わった。


たくさんの先人たちの努力の果て、ここ数年、日本がなにか新しい段階に脱皮したように感じる。
勝つ http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040817#p4で書いたように、日本への所属意識が、強さを引き出している。と同時に、個人が活きている。無理やり引き出した、悲壮感でぽっきりと折れそうな力ではなく、地に付いた、その人らしさが前面に出た、太い力強さ。
シドニーオリンピックは、ここに至る生みの苦しみの過程だったのかもしれない。まだ、その人らしさを活かすためには、たくさん闘わなければいけなかった、力をロスせざるを得なかったように観える。「楽しんできます」という言葉に、批判も浴びせられたし、強がりも感じられたし・・・。