父の急逝にあたって

2000年2月に私の父が63歳で急逝した後、追悼文集を父ゆかりのかたがたが創って下さいました。
この文章は、その追悼文集に私が寄稿させていただいたものです。

息子の幼稚園で音楽発表会を観て、遅い昼食を食べ、帰宅。のどかな午後でした。
そこに母からの電話。
「お父さんが亡くなったんだって!」
・・・一瞬、言葉の意味がわかりませんでした。
持病は胃潰瘍程度、健康診断の結果も「40代の成績だと言われた」と先日自慢していたほど。

諸方面への連絡は、驚くほど迅速に進みました。
美穂子も真喜子も、私が電話した瞬間、まさに帰宅したところでした。
信じられないという思いをそのままに、現実がどんどん先に進んでいくように感じました。

大急ぎで荷物をまとめ、バスと電車を乗り継ぎ、東京駅へ向かう。
頭の中を、いろんな思いが駆け巡ります。
 この12年、私はずっと関東在住でした。正月やお盆も、ほぼ毎年出勤。
 父と顔を合わせる機会は、年1回あるかどうかでした。
 いずれ一度は関西勤務になる。その時は、また頻繁に行動を共に出来る・・・そう思っていました。

 まさか、こんなにいきなり、別れが来るなんて。
  父と過ごしたいろんな思い出。父と交わしたいろんな会話。
  もう二度と、そんな機会を持つことは出来ないとは・・・。


「のぞみ」に飛び乗ってしまえば、あとは大阪まで、静かに座っているしかありません。
妻と会話を交わすうち、ふとこの言葉が浮かびました。

「あの父の息子として生まれてきて、本当に良かった」
・・・・・心から、こう思える。
      これほど有り難いことがあるだろうか。
      これ以上何を望むことがあるだろうか。

   父の「思い=魂」は、私に大きな影響を与えている。
    私はただ、この貴重な財産を受け継ぎ、育てていけばいい。

その瞬間、死を悔やむ気持ちは消え、大きな感謝がとめどなく湧き起こってきました。
  父はこの世での使命を果たし、
  最後に「人生、次の瞬間何が起こるか判らない」という学びを、私に残して逝った。
    そんなふうに思えてきました。

  息子二人がぐずっても、不思議と腹が立たない。
  今こうしている瞬間が、とても大切に思える。

「幸せ」って、不幸じゃない事でも、運が良い事でもない。私は今、そう思います。
もしかしたら、つながりを実感することを「幸せ」というのかもしれません。


ハイキング、飯盒炊爨、海水浴、スキー、駅伝大会
・・・父との楽しい思い出には、化工機設計課の皆さんの懐かしいお顔が、たくさん登場します。

父はいつも、暖かくて真剣な人たちに囲まれていたように、私は感じています。
そういえば、人事考課はいつも、不機嫌な顔のままなかなか手を着けず、締切当日になってから、自室にこもって悩みぬきながら徹夜していました。
情熱を傾けた化学プラント部門が、三菱三原から無くなってしまった事は残念でした。縮小の時期、父が悩んでいる姿を、よく見ました。この時期以後、父はいっそう優しく、そして力強くな
ったような気がしています。
やがて、新しい分野に挑戦する機会を得、心から楽しんでいました。
そして最後に、メーカーで培った経験をユーザーに伝えるという、得がたい場を用意していただけた。
・・・・・一人のエンジニアとしても、父のことをうらやましく思います。

化工機設計課の皆さんと出会うことで、父はあの充実した人生を生きることが出来ました。
そして私も、皆さんから直接、大きな影響を受けています。
ありがとうございました。


文明と文化の接点に興味を持つ人でした。
仕事に込められた「思い」を汲み取ることに長けた人でした。
カニズムを見極め、解決策を生み出す人でした。
・・・私の目には、父はこんな風に映っています。
   私も、そんな仕事を成して行きます。

父急逝の知らせを受けてから、のぞみ号に飛び乗るまでは、もうひたすら大混乱。現実であるという感覚をもてないまま、ハツカネズミのように気持ちはくるくる。同じ荷物を何回も探したり。
でも不思議なことに、結果的には最高に効率よく全ての連絡と手配が進んで、最短の時間でのぞみ号に飛び乗ってるんです・・・。
座席に収まって、一息ついて、多摩川を越えたころでしょうか。妻と「もう会えないんだねぇ」「素敵な人だったねぇ」なんて話をしたのかなぁ、父の死を現実として受け入れた瞬間、途方もない感謝がどわーっと沸きおこって来たんです。とてつもない喜びと、とてつもない悲しみとを、同時に味わっている感覚。
あぁ、ありのままの世の中って、無限の喜びと無限の悲しみとが、同時に進行しているんだなぁ・・・その一部分に、僕は今までフォーカスを当ててきたんだなぁ・・・と言語化できたのは、その後数日経ってからだったのでしょうか。”狛犬の「あ」から「うん」の間に世の中の全てがある”ってのは、このことなんだなぁと。
ありのままの喜びと悲しみとに同時につながっている、この感覚は、以後ずっと、私のベースにあります。意識が一生懸命活動しているときは、思考や感情が前面に出ていますが・・・。