パリの都市鉄道

環状線が廃墟状態になってたりして、どんな発展経緯をたどったのか気になってた。ちょっぴり調べてみた。
以下メモ。まちがいもたくさんあるかもしれません。


ナポレオン三世時代、オスマンによる都市改造で今の都市骨格ができたわけだけれど、結果、いまでも、良質な住宅地は旧城壁内にあり、郊外住宅地の大半は低所得者層向け・というところに、パリの大きな特徴があるみたいだ。


メトロ(高架区間も多いから、”地下鉄”とのみ捉えるべきではないのかもしれない)が、1900から、わずか30年ほどの短期間に、14路線、一気に建設されている!
以後、これが都市交通の主役。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AD_(%E3%83%91%E3%83%AA)
写真で見ると、高架線・高架駅がとてもおしゃれだ。鉄骨やコンクリートでも、こういう美しい高架がつくれるんだなぁ・・・


汽車発祥の鉄道は、高架・地下線による都心部立体化・延伸が19世紀中ごろから行われている。
5つの会社が鉄道を建設、それぞればらばらにターミナルを持っている。1862年にはそれらを結ぶ小環状線http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%ABが運行開始。
ターミナル同士を都心縦貫線で結び、直通運転にて通勤電車化する計画は1930年代からあったようだけれど、さほど進展せず。唯一、セーヌ川南方から南下する郊外線・ソー線の電車化・都市交通公社移管が(都心縦貫線の建設なしで)行われたのみ。小環状線に至っては、1938に旅客営業を廃止、バスに移管してしまう。
メトロ網が一気に整備されこちらが主役になった、快適な住環境が都心部に整備されていたので郊外からの通勤需要があまりなかった、みたいな感じで、採算が取れそうになかったのだろうか。
ようやく1960年代後半以降、RERという形で、一気に整備が進んだみたいだ。


路面電車は1855に登場、1938にパリ市内から、1958にはヴェルサイユからも一旦消滅。
1992以降、郊外の輸送機関として、いくつかの路線が新規開業。


万国博など博覧会に伴う、汽車の延伸・メトロ開業・路線変更もあったようだけれど、そのインパクトをどの程度とみればいいかなぁ・・・。大阪のほうが、都市構造への影響は大きそうな気もする。


10/12追記
この論文が面白かった!
近代パリ都市鉄道網の計画と整備 北河大次郎 http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00041/2000/17-0001.pdf
メトロ網が既存鉄道網との独立性が高いものになった理由、郊外電車がメトロに負けた理由、RERが画期的だったわけ。なるほど!と頷いた。
・・・大阪の状況と、ちょっぴり似ているかも。大阪の地下鉄+市電 が、パリのメトロ網、 省線+郊外電車 が、パリのフランス国鉄線 にあたると思えば。で、メトロの郊外延伸がなかったぶん、また、富裕層も含めた住居の郊外移転が盛んだったぶん、市営が市内 郊外は省線+私鉄 という住み分けがなされたのが、大阪だった・と言えるかもしれない。


上記論文の概説とも言える、講演の抄録。ロンドン、ベルリンとの比較も。
パリにおける鉄道網の形成−東京との比較− http://www.jterc.or.jp/kenkyusyo/product/tpsr/bn/pdf/no06-08.pdf

これまで調べた各都市との比較メモ

ベルリンと比べると、

ベルリンは汽車ターミナル同士を結ぶ都心縦貫線(東西高架・南北地下)が早期に整備され、環状線とともにSバーン網(東京・大阪の 国電→JR電車 に近い)を構成、Uバーン(地下鉄)と相補的に都市交通を担った・というあたりが違いそうだなぁ。

東京・大阪と比べると、

汽車ターミナル同士の都心縦貫線による連結・環状線共々の電車化 がベルリンにやや遅れて成ったこと、
地下鉄は戦前1路線のみ、国電網と路面電車とが市内交通を担ったこと、
インタアーバン的な郊外私鉄電車の発展があったこと(ベルリン・パリ・ロンドンあたりはなさそう)、環状線がそれらを連絡するものとして需要が大きかったこと
あたりが特徴になりそう。

ニューヨーク。

市街地拡大に伴う、汽車ターミナルの、グランドセントラル駅への後退 & そこまでの路線の路面鉄道化 なんてのは、ただ1路線のことだけれど、とても印象深い。
それ以外の汽車ターミナルは、みなマンハッタンの対岸にあって、フェリーで連絡してた・というのも特徴的。やがてペンシルバニア駅建設で連結されるわけだけれど。
都市交通は、路面鉄道(馬・ケーブル・電車)→高架鉄道→地下鉄 がひたすら主役。
そういえば、インタアーバンって、対岸のニューアークなんかにはあったんだっけか?!?

シカゴ

・・・不正確かもしれないけれど
高密度・大規模な路面電車
それとたぶん別に、インタアーバン路線の大発展・都心部高架電車線の発達・相互乗り入れ
それとたぶんまた別に、長距離列車の結節点として、汽車由来の鉄道網発達・・・通勤電車化もしてるっぽいけど、インタアーバンや高架電車とは関連が薄いっぽいなぁ。
で、都心高架電車網と、汽車由来の郊外通勤列車と、インタアーバン1路線だけが生き残ってる・のかな。

ブリュッセル

路面電車→一部プレメトロ化 が市内交通の主役
汽車由来の鉄道は、近年になってから、都心縦貫線&新中央駅建設。これが郊外通勤にも使われてるっぽかったなぁ。

ロンドンはどうなんだろうか。

あまり詳しく知らないのだけれど、蒸気運転だったチューブ、電車化されてからのサブウェイ、これが主役っぽいなぁ。汽車の郊外電車化も早期になされてたっぽいけれど、都心直通運転という観点からはどんな感じなのだろう。


10/12 訂正・・・以前も勘違いしてたんだけれど、またやってしまった。世界初の地下鉄とされるメトロポリタン鉄道は、鉄道ターミナル同士を結んで、しかも、郊外鉄道から市街中心部への直通運転をするものとして(これは知らなかった!)、大断面で建設されてる。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%83%B3%E9%89%84%E9%81%93
メトロポリタン鉄道は、北方面、西方面の鉄道をシティまで連絡・延伸。
東方面のターミナルだけは、シティ旧城壁の内側に小さいものがあった。
南方面のターミナルは、テムズ対岸に当初建設され、更にいくつかは橋をかけて旧市街河岸に新ターミナルを建設。うち1つは、そこから更に高架とトンネルで延伸して、メトロポリタン鉄道と連結して南北を連絡運転 http://en.wikipedia.org/wiki/Snow_Hill_tunnel・・・19世紀半ばには建設されてるのか!
・・・つまりここまでは、汽車時代、高架&地下で、ターミナル間の直結・直通運転がすでに行われていた・というわけだ。


電車とシールド工法の登場で、小断面・地下深く建設される路線が登場。これをチューブと呼ぶのだと思っていたけれど、Wikipediaによると、大断面の路線も含めて呼ぶみたいだ。


で・・・メトロポリタン鉄道が、地下鉄公営化の時に地下鉄網に組み込まれて。
それとどちらがはやいんだか精査しなきゃいけないけれど、
郊外鉄道の都心直通運転も行われなくなっていったみたいだ。
南北連絡運転を担ってたスノウヒルトンネルも、貨物列車のみになり、やがて線路が撤去されてしまう。
近年、「テムズリンク」のブランド名で、再整備され、郊外電車の南北直通運転が再開したらしい。
・・・パリの小環状線といい、東京や大阪をイメージしてると、それが寂れてしまったことが、信じがたいとすら想う。もっとも、大阪も大環状線はさほど活用されてないし、東京も東北・東海道連絡線は一旦撤去、いまになってようやく活用されようとしてる。山手線と対を成す迂回ルートの新金連絡線-亀戸-湾岸の貨物線もまったく活用の気配はない。それと似てるのかもなぁ。