NHKスペシャル 日本人はなぜ戦争へと向かったのか(4)開戦・リーダー達の迷走

リーダーたちは膨大な国力差がある対米戦争をしてはならないことを熟知していた。それがなぜ開戦決定に至ったのか。当事者の証言テープから驚くべき事実が浮かび上がる。
太平洋戦争70年の年に問いかける大型シリーズ最終回。当事者たちの戦後の証言テープからは、驚くべきリーダーたちの実態が見えてきた。戦争に勝ち目がないことを知りつつ、それを言いだせずに、各組織が互いに責任を押しつけ合って、重大案件は先送りとなる。その結果、選択肢がなくなり戦争へと追い込まれてゆくという悲劇。日本のリーダーたちは、国策決定の場で勇気を持った決断を下すことは、ついになかった。

今回の取材で図ったのは、この(ABCD包囲網の)段階でも、アメリカとの戦争が避けられないと想っていたリーダーはひとりも居なかった、という事実です。

おいおい・・・まじですか。


ひとりでも反対すると決議が出来ない、連絡会議。・・・安保理みたいだなぁ。
結論は玉虫色になり、決定は先送りになる。
独ソ開戦時、陸海軍は、それぞれ組織に都合のいい様に解釈しながら、陸軍は北進・海軍は南進の準備を進める。
軍としては、抑制的に動いているつもり。ほんとにやりたいことよりは我慢してるから。
しかし、米国内で対日強硬派が大きく反発し、石油全面禁輸に。一日一万トンの備蓄原油が消えて行くことに。


選択肢は2つになってしまった。
対米譲歩(中国からの撤兵)か、独自調達(東南アジアの油田を占領)か。


海軍首脳部は、対米戦争に勝ち目がないことを熟知していた。

なんど図上演習をやっても、勝てない。判定でごまかすんですけれども

陸軍も。東条の腹心の息子さん曰く

開戦前日まで「勝ち目のない戦争をやるバカは居ない」と言っていました

しかし・・・

東条くんが言っていたのは、「これだけ人を殺して、金も使ってだね、手ぶらで帰ってくるということはできん」と

この死者への負債は、どの時代にも起きていることです。
犠牲者に背を向け、「我々は間違えていた」とは言えないからです。

結局、「10月に開戦するか否かを決める」という逃げを。


誰が「対米戦争は無理」と宣言する損な役回りを引き受けるか・という押し付け合いに。
陸軍は海軍に。海軍は企画省に。


近衛首相は、ルーズベルト大統領との太平洋上直接会談をもくろむ。連絡会議を経ず、大統領と直接交渉して、陛下の裁可を得よう・と。
しかし、ハル国務長官は、事前に国内の同意を得ることを求める。

腹芸とかそういうことになるんだろうが、彼らにはわからんから。そういう気持ちの伝えようがなかった。

結局、会談は流れる・・・。


ついに10月。誰も戦争回避を言い出せないリーダーたち。

「今から思えば、9月の決定は軽率だった。」

そして近衛内閣総辞職
東条内閣に。

政治家というものが、どこへいったかわからんようになったんだよ。
政治家では全くないし、器の大きな人ではないのだけれど、東条以外には持って行きようがなかった。

陛下から異例の指示。白紙に戻して再検討せよ。
検討し尽くしたことを、再検討。すればするほど、対米戦争に勝ち目はない。
2年なら戦える・・・という海軍の言葉と(そのあとは負ける・という言外の意味には目を背けたまま)
不戦でも
検討の結果、開戦回避も取り上げられず、決定も出来ず、12月に結論を先送り・・・


で、ハル・ノート
開戦やむなしに。
外的要因で自らの道を決めることとなり、不安とともに安堵の顔の首脳たち。ついに、己で己の道を選ぶこと無く。

総理大臣2・3人殺される覚悟で行けば、戦争は回避できたと想うんです。我々日本人に、その度胸がなかった。

東条さんはじめ我々の、自主独往の気概が足りなかったことが、この戦争に入った最大の原因であると想うんです。


うーん・・・。
決してこれは、過去の話ではないなぁ。
いまの我々日本人も、同じ過ちを繰り返す気質を、しっかり引き継いでる。


決定の当事者や、ごく近くに居た人々の肉声での証言。
当然、芝居がかっては居らず、あれほど悲惨な結果をもたらしたのに比して、ある意味淡々と。
インパクトがあった。
名作「シルクロード」と並ぶくらい、長く語りつがれるべき傑作番組だと想った。