美の壺「昭和レトロの家」

身近なテーマを中心に、美術鑑賞を3つのツボでわかりやすく指南する新感覚美術番組。今回は「昭和レトロの家」。案内役:草刈正雄
茶の間を中心とする和風の空間に、明るい広縁があり、玄関脇には洋風の応接間…。昭和初期に広まり、長らく日本の住宅の典型となった家を「昭和の家」と呼ぶ。当時、建築家たちは初めて「日本人の住まい」というテーマに真剣に取り組んでいた。家族の暮らしを大切にする新しい価値観が、自然と調和した快適な間取りに表される。個性的な装飾を施したミニ洋館や、驚くほどモダンな実験住宅など、「昭和の家」の多彩な魅力を再発見。
出演
【司会】草刈正雄,【語り】古野晶子

建築家が、個人の家を設計するようになったのは、大正以降だという。
特に昭和初期は盛んに。
各電鉄が、郊外住宅を開発した時期だもんなぁ。


母方の祖父の家・・・阪神大震災で全壊してしまったけれど・・・が、大正初期の建築。
ちょうど、今回登場した家々から、洋間を抜いたつくり。
相通づるところが多々あって、懐かしかった。
明治の家には、中廊下がなかった・・・そうなのか。
ではあの家は、中廊下ができた最初の頃の個人住宅だったんだなぁ。別荘として建築されたので、客間主体なところは、ちょっぴり違う。と同時に、客間とプライベート空間が明確に分かれていない分、居住用に転用したあとは、日当たりのいい部屋を主な居場所に使えたんだなぁ。
そういう転用っぷりが、昭和期になってからの個人住宅の間取りに活かされたのかもなぁ。


前川國男邸、是非行ってみたい。東京たてもの園にあるんだなぁ。
そして、こちらは知らなかった。http://www.chochikukyo.com/

京都・大山崎。新時代の和風を生み出そうとする実験は、ここで始まりました。
昭和3年に建てられた建築家・藤井厚二の自邸「聴竹居(ちょうちくきょ)」です。

どちらも、今年たてましたと言われても不思議じゃない現代性。

松隈?「当時、やっぱり日本の住宅って違うんじゃないのと、もう一回考え直そうじゃないかというのが、ムーブメントとなっていて、かなりの建築家が参加してるんですね。昭和のはじめの時代というのは、一生懸命日本人の住宅を考えた時代だと思うんですね」

なるほど!


木部の塗装などのメンテナンス、気密性・保温力の低さ、住むのは大変かも。でも、いいなぁ・こういう住宅。
p.s. 聴竹居は、日本の気候も考慮して、工夫を凝らしてあるそうです。環境配慮住宅の元祖とも言われているみたい。居間がドーナツの中心になってる・というのも、珍しく、かつ、暮らしやすそう・というか、暮らしぶりが楽しく変わりそう。実際に住んでみたら、どんな感じなんだろう・・・。http://inaxreport.info/data/INAX173_04_14.pdf実験住宅を2年ごとに建て、実際に居住し、居住経験を活かして次の設計をし・・・5件目で完成形となったのが、聴竹居だそうで。藤井厚二さん、福山のご出身なんですね。49歳の若さで亡くなられたそうですが、聴竹居の前で撮られた家族写真、実に幸せそう。