規範はあなたの内にある・・・自己探求の基礎理論(仮)

この人の言うことなら耳を傾けよう、こいつの言うことなら聞かなくたっていいや、って、相手によって判断基準の選択をしてるものです。

空白さん。この姿勢を「権威主義」と言います。


あなたご自身が「権威主義」で生きておられるから、議論の上手さにこだわる。他人も、立派さや権威にこだわって行動しているかのように読んでしまう。


僕は、たとえ尊敬する人の言葉だろうと、私自身がその言葉に意味を見出さなければ、耳を傾けたりはしません。
偶然ラジオから聞こえた歌詞だろうと、3歳児の言葉だろうと、嘘ばっかりついてるひとの言葉だろうと。そこに僕が意味を見出したなら、僕は取り入れます。

この「意味を見出す」の部分なんですが。
多くの場合、体感をともないます。それが意味深いものであればあるほど。
感動・武者震い・暖かさ・熱気・心地よさ・やすらぎ・・・といった場合もあれば、
痛み・寒気・胃がきゅっとなる・膝が震える・頭に血が昇る・・・といった場合もあります。
そして、感情を揺さぶられる。喜びや幸せや楽しさの場合もあるし、怒りや混乱や哀しみの場合もある。


意識・思考でその意味はとらえられなくとも、なにかしらの体感や感情の揺れを感じた場合、そこにはなにか、あなた自身にとっての意味があります。無意識からのシグナルが来ている。
なにが嫌なのか、なにに怒りを感じたのか、なにが喜びなのか、どこに幸せを見出したのか。
問いかけていくと、自分の無意識が観えてきます。


脳みそ・意識・思考がとらえているのは、自分自身の、そして世界の、ごく限られた一面に過ぎません。
むしろ、ある固定された視野からのみ、観ようとする働きすらある。
世界観と実世界とのギャップを、体感や感情が示している。
その意味を読み解くことで、自分が、ほんとはどう世界を捉えたいのか、ほんとはどう生きていきたいのかが、観えてきます。


規範はすべて、実は自分の中にある。
いま、うまくいっていない規範も。
そして、どうしていきたいのかという規範も。