ウォルトたちの50年と、私の50年

いま、メリー・ポピンズ製作時を振り返るのと、
当時、主人公たちが子供時代を振り返るのとが、おなじ50年強の時の流れなのか!
足立区生物園プレオープン → クアアイナ イクスピアリ店 → 映画「ウォルト・ディズニーの約束」 → フォルッティジェルッタ

おなじ50年強。とはいえ、その波瀾万丈さは大きく違う。
1906-1960 には、2度の世界大戦があった。大恐慌もあった。ラジオ、トーキー、テレビの登場。蒸気機関車での移動がジェット機に。宇宙ロケットさえも。
1960-2014 は、それに比べれば、とても平穏だったと云えよう。
下手をうつと、人類全体が破滅する。それが観えたことが、おおきかったのだろうな。


東日本大震災の直後、なんと、株価も上がり、円高になり。
「あぁそうか、どれほどの価値が無に帰しても、”有効需要の創出”とやらになって、”景気は上向く”んだな。
 財産が無に帰したひとたちの涙とは関係なく。」
理屈としては小学校で学んだけれど、その非情さとバカバカしさを、はじめて痛感した。


戦争だろうと、天災だろうと、ばくちだろうと、
必要なものが失われてしまえば、それを回復しようとする需要が生まれる。
誰かしらに不運な損を負わせれば、社会全体が豊かにならずとも、ゲームは活性化する。
自分のところに損が来ないよう、プレーヤーたちは懸命に対策し続ける。
http://togetter.com/li/651775
ただし、このゲームが続けられるのは、資源供給が無限とみなせている間だけ。