自衛隊、目の前の「死」 東日本大震災、10万人の苦悩

毎日新聞朝刊に、防衛大学卒の記者さんによる、数ページに渡る力作記事が。
家族の安否を確認できないまま、任務に赴いた隊員たち。子供から「大変な時にいっしょに居てくれなかった」と言われた苦悩。などなど・・・。

公務と、私。
もっとも端的に現れたのが、このエピソードだと想う。

「放水で効果があればいいけど……その前に、もっと検討をしておったことがあったんですよ……」。インタビューは1時間半を超えていた。「震災から1年」の取材で、陸上自衛隊トップの陸幕長を昨年夏に勇退した火箱(ひばこ)芳文氏(60)=現・三菱重工顧問=は話し始めた。当時の状況を快活に回想していた声は、その後「死地」「犠牲」という言葉が出始めると低くなる。私は思わずメモに<声、小さくなる>と書いた。

(中略)

 昨年3月17日に陸自ヘリ2機が空中から放水した。これとは別の、「ホウ酸注入」作戦。旧ソ連チェルノブイリ原発事故(86年)と同様、中性子を吸収するホウ酸を注入して再臨界を防ごうとした。ヘリ放水では原発上空90メートルをさっと通過して水をまいた。それさえ、「決死の作戦」といわれた。内部の状況が全く分からない原子炉に、ホウ酸を直接入れる必要がある。このため、20メートル上空に長くとどまって、数トンのバケットをゆっくり下ろして入れる必要があった。第1ヘリ団(千葉県木更津市)が極秘に訓練を繰り返した。

 「これは戦だと思っていました。このままだと日本は福島で分断され、国は滅びる。(隊員に)犠牲は出るかもしれないが、やるしかないと」

(中略)

 東日本大震災自衛隊は、さまざまな局面で危機に直面した。それは自らの、同僚・部下の、そして家族の「死」と向き合うことでもあった。彼らが大震災で「背負ったもの」を聞くのには、少し時間がかかった。

毎日新聞 2012年4月22日 東京朝刊