ビルド&放置

アメリカ合衆国って、知れば知るほど、想像を遥かに超えて・・・壮大というか、途方も無いというか。


アメリカ旅客鉄道史+α
かつてアメリカは、世界一の電車王国だった・・・と、言葉では知っていた。
しかしまぁ、その規模の、なんと大きなこと!!!

アメリカの路面電車を一言で形容するのは難しい。思いついた言葉は陳腐なものであるが、何も言わないよりはいいだろう、それは「空前絶後」の存在なのである。今でこそ、自動車社会のアメリカだが、20世紀の最初の20年は電車王国だった。その発達は尋常ではなく、人口1万程度のちょっとした街でも路面電車が存在していたケースが多い。
 当然の事ながら、名の知れた大都市であれば必ず路面電車が走っていた。ダラスやヒューストン、フェニックスといった自動車以外の交通機関が考えられない(近年は莫大な公的補助によって公共交通の運営が可能になっているが)都市にも存在していたし、ネットワークの密度が尋常ではなかったのである。例えば、20世紀初頭にはまだ人口100万ほどの規模であったロサンゼルスには500キロの軌道延長、800両の車両を持つ路面電車ネットワーク(勿論、それ以外に軌道延長1700キロの郊外電車のパシフィック電鉄のネットワークを除く)があった。サンフランシスコやピッツバーグデトロイトといった中規模の主要都市の路面電車も似たようなもので、同規模の日本やヨーロッパの路面電車に比べて遥かに稠密で、また、都心から10キロ、20キロ離れた郊外まで路線を伸ばしていた。
 こうした都市の中で、最大のネットワークを持っていたのはシカゴである。シカゴの路面電車の軌道延長は1800キロ、3500両の車両を保有していた(日本最大の東京都電が軌道延長500キロ、車両数1200両程度の規模、現在の広島が50キロ、270両(5車体連接車を5両と数えている事を考えると200両程度とみるべきか)である)。軌道自体はインターアーバン路線を経由してインディアナ州オハイオ州まで伸びていて、乗り継いで1000キロ先まで旅行することも可能であった。

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クリーブランドの小林一三
アメリカ電気鉄道史?-4 路面電車からインターアーバンへ
そして・・・綺麗さっぱり、消え去ってしまった。


ITバブルなんてのが、しばらく前にあったようだけれど、その鉄道版が、19世紀末から20世紀初頭に、3回ほどあったんだそうな。
鉄道・電気鉄道への投資がぐわっと集まり、ぐんぐん伸長し、ぱたっと止まり。
やがて、自動車がぐいぐい普及し。競争を繰り広げながら、10-数十年かけて衰退していく。
鉄道の前には、運河に投資が集中したときもあったようだ。


デトロイト。人口が全盛期の半分になり、大恐慌前に建てられた壮麗な建物たちが、壮大な廃墟になっているそうな。
Forgotten Detroit


シカゴ都心部には、貨物用地下鉄が網の目のように張り巡らされていたそうな。
Chicago Tunnel Company Railroad Map
私の乏しい英語力で理解する限り、本来はケーブル収納トンネルとして企画され、でも認可されず、貨物運搬鉄道として半世紀活躍。
皮肉なことに、廃止後随分たってから、電力会社などがケーブル収納トンネルとして活用。
そして、川からの水漏れを発見したにもかかわらず放置して、大水没。ほとんどのビルの地下階ともつながっているため、大変なことになったらしい。


ニューヨークの摩天楼も、実は大半が、1930年代までにつくられたものなんだそうな。
大恐慌以前に計画されたものがほとんどで、それ以降は、その遺産をずっと使い続けている。
熱狂的な投資で、インフラがあっという間に整備され、
貨物運搬に適した鉄道や、ニューヨークの摩天楼のように、のちの時代のニーズをつかめたものは、世紀単位で活かされ続ける。


投資の熱狂がなければ、こんなスピードで、こんな壮大なインフラ整備は出来なかったろう。
そして一方で、電鉄会社たちのほとんどは、黒字になること無く消えたそうな。
活かされたインフラよりも、廃墟のほうが壮大。


道路や空港は、政府が主体になって整備したのは、
大恐慌以後、こんなやりかたは害が多いとわかったから、なのだろうか。

実業の代表格にある鉄道は、時として容易に虚業と化してしまう
(中略)
IT産業(ライブドアは厳密ではIT産業ではないが、ITを応用して何かができるという幻想を売りにした会社である)や鉄道会社が虚業になる理由は何であろうか。実は両者は、売り物や設備は大きく違うものの、人やものを線路や情報ネットワークでつなぐことで、生産活動を効率的にして人々を豊かにするという効果があるという点で共通している