《DEEP MOTION》vol.2

渋谷 AMRAXにて。

13:00過ぎ 妻とテキサスバーガーを買いに出かける・が、売り切れ。

ありゃりゃ、山手線・わざわざ恵比寿寄り先頭に乗ったけど、渋谷駅・新南口への連絡階段は、真ん中にしか無いんだ!

15:06 渋谷駅・新南口を出る。

AMRAXらしき場所の前に、開門待ちのひとの群れ。お子様ダンスチームも複数。
お隣の、渋谷区清掃工場のまわりをぐるっと歩く。東横線高架、昭和初期のRCかなぁ、ぼろぼろだけど、角が曲線仕上げでちょっぴり優美。地下化工事に向け仮支えしてある。

16:00ごろ、中へ。1回目のショーケース中。
各チーム、巧拙はあるけれど、観てて楽しい!
地下フロアのスピーカーシステム・出てくる音が、学生時代に行った広島のディスコと似てる。ドラムの音なんか生音とは似ても似つかないけれど、すっごくノレる。ひとチーム・若い女の子3人組が、MJトリビュートな演目をやってくれて。スリラー、スタート・サムシング、ビートイット・・・そうだよ、こういう音だったよ。25年ぶりかなぁ・・・ありありと思い出す。THIS IS IT最終上映に行く以上に、ぼくにとってはMJトリビュートになった。
DJタイム。地下は舞台上でダンサー陣が適宜踊る。70-80年ごろの曲にうまく乗って踊るひともいて見とれる。1階は別のDJが。

17:15 2回目ショーケースは3チームのみ 観客はいっぱいに!お目当てのともさんたちは、なんと20分強のショーを繰り広げてくれる。選曲・構成・衣装チェンジ、よく練られてて楽しい。ボーカル二人の声質もよくあってるし、ダンサーとのコンビネーションもいいなぁ。ともさんのビヨンセ的な曲は初聴き・上手い。締めはレディ・マーマレード。いつもながらシャウトが綺麗。

DJタイム。1階で踊る男性ひとり、鮮やかで見惚れる。

19:00 3回目ショーケース 先ほどを超えるお客さん。立ってみた方が楽しそうなのでメインスピーカー前に。赤アロエアメ・・・エンターテイメント! インストラクターさん二人のチームがべらぼうにうまい。舞浜経験者はショーを創り上げるのが巧み。Muffin、優美。

トリは横浜のストリートダンスチーム。終演後、「告知があるそうで・・・(息が整うまで)・・・ちょっとつなぎます」で、MCが”こうして観てくれるひとが居て、ダンスが成立・お子さんとか、普段クラブに来ないようなひとが多数来てくれて嬉しい。技を鍛えあげてて、アスリートみたいでしょ。街角で踊ってるのを見かけたら、じゃまだなぁと思ったりするかもしれないけど、観て、応援してください”みたいな話を。それを引き継いてチームリーダーがしゃべる。”いま、いい話をしてくれて・・・僕が若い頃、不良しかダンスしなかった。いまは、子供さんとか習いに来てくれて。B-Boyって怖く観えますよね、チンピラに絡まれたりもするからいかつい格好するし、ダンスバトルだから威嚇する目つきもするし。でもダンスが好きでやってるだけ。クラブって怖い場所で、子どもが出られる夕方から始まって、終電前に終わるこういう機会は貴重。輪が広がって欲しい”同感。

友人たちと、昭和風居酒屋へ。お腹いっぱい食べて飲んで、ひとり2100円ほど!楽しかったぁ。


以前も書いた気がするけれど、
ダンスが広く踊られたり、不良だけのものになったり・・・って、時代ごとに交互してるかも。
以下、未検証のいいかげんな仮説。


鹿鳴館時代・・・外交のためにはダンスを習得しなければ・と、政府高官など上流階級が、半ば義務感で習得?
↓(この間、ダンスがどんな位置づけだったか、知りたいなぁ)
大正末〜昭和初期(僕の祖父の青年期)・・・中流階級にも普及・ダンスホールやダンス教室が登場・・・痴人の愛なんか読むと、健全一辺倒というわけじゃなさそうだけれど、上流階級の匂いがする上質な習い事・みたいなイメージはありそう

戦前・戦中・・・贅沢は敵だ!適性文化排除!!風俗営業法でダンスホールを規制・やがて強制閉鎖に。

昭和30年代(僕の両親の青年期)・・・社交ダンスは、青年ならみな、踊れて当たり前に。ダンスパーティーは民主的で文化的な生活の象徴・みたいな。

ゴーゴー喫茶・初期ディスコ・・・不良の巣窟っぽい感じに?

昭和50年代(僕の青年期)・・・ディスコブーム。踊りが下手だろうとディスコで飲み食い・みたいな。安いし。ある意味、いまの居酒屋みたいに使ってたかもなぁ。養老乃瀧はあったけど、村さ来とか和民とか、そういえばまだ無かったような気が。ストリートには竹の子族が登場。

ディスコ過激化・クラブへと移行・ストリートダンス・・・お立ち台登場で踊るひとと観るひととがまず分離。やがて、誰もが行く場所では無くなった。

いま


まぁ、どの時代もダンスって、愛欲や快楽とは絡むし、同時に、アスリート的な要素や社交も必ずあるし。この時代は退廃だったとか健全とか、一括りには決して出来ないよね。
ただ、先鋭化しては一般化して・・・というサイクルは、ある。
そして社会的に、戦時中のように抑圧されたり、鹿鳴館や戦後のように推奨されたり・・・という要素も、ある。
親が、どんなふうにダンスに接してたか・・・は、子供に大きく影響するだろう。
結果的に、しましま模様になってるような気は、とってもする。


いまは、ダンスへの抑圧や偏見が、ほどけてる時期なんじゃないかなぁ。
僕の子供世代・・・いまの中高生・・・が、ダンスとどんなふうに付き合うことになるんだろう。
小学生時代に、”スーパーダンシンマニア”を経験してることが、結構大きく影響してるかもなぁ。