気分ごときで、外交が動くわけがないだろう!

 新聞によって濃淡の差はあるが、鳩山由紀夫首相に「反米」や「離米」のレッテルを張り攻撃する論調が多い。「米国は怒っておるのがわからんのか」と米国になり代わって警鐘を鳴らす新聞もある。

 4日、普天間飛行場移設問題を協議する日本の外相、防衛相と米国のルース駐日大使の会議が開かれた。その模様を産経新聞は翌日こう報じた。

 −−関係者によると(ルース大使が)穏やかな語り口を一変させた。「いつも温厚」(防衛省筋)で知られるルース氏は、岡田克也外相と北沢俊美防衛相を前に顔を真っ赤にして大声を張り上げ、年内決着を先送りにする方針を伝えた日本側に怒りをあらわにした、という−−

 この記事について、岡田外相は8日の記者会見で「大使が顔を真っ赤にした」という情景描写は「まったくの創作です」と否定した。

(中略)

 藤原帰一東京大学大学院教授と衛星放送BS11の番組「インサイドアウト」で話す機会があった。米国で国務省幹部と会ってきたばかりの藤原氏は、「米国が怒っている」という日本の論調に米国は閉口しているという。当初、米国は普天間問題で強硬に出たが、ゲーツ国防長官の訪日がゼロ回答に終わったので、これまでの対応が失敗だったと「反省している」のだという。

 アフガニスタン増派を抱えた米国は、日本との関係も大切だ。「顔を真っ赤に」して脅すだろうか。藤原氏の見方はわかる。それにつけても、だれだろうね、よく新聞に出てくる「関係者」とは。(専門編集委員

よしんば、米大使が顔を真っ赤にして大声を上げたとして、
それがどうした。
親父に怒鳴られた子供のように、国益を冷静に判断するのをやめ、しゅんとしろとでも?


新聞が語るべきは、どの案にどういうプラスとマイナスがあるのか、分析して提示することなんではないの?
それをきっちりやってくれれば、どの案を選ぶべきなのか、どういう交渉態度をとるべきなのかは、読者である俺が判断する。
日清・日露と情緒的な報道をして、大国意識を高揚させ、やがて破局へと導いてしまった戦前の反省を、ここ10年ほど、いくつかの新聞は急速に忘れ去ってしまったように、僕には見える。


”閣内不統一””官僚支配への逆行””小沢支配”というレッテルを貼ったって、なにを報道した事にもならない。
そこにどういう背景があるのか、なにが真の問題なのか、せめて下記程度には掘り下げてこそ、はじめて”報道”の名に値すると、僕は想う。

鳩山政権の閣僚発言とは「決定事項」ではない。首相や閣僚たちの発言は政策調整を「政治主導」で閣僚自身が行っている最中に、マスコミからマイクを向けられて発言したものだ。つまり、閣僚は官僚が作った「決定事項」を読んでいるのではなく、「途中経過」を自分の言葉を話しているということだ。
 この鳩山政権における意思決定プロセスの変化を踏まえなければ、閣僚発言の真意を理解することはできない。

 日本郵政社長人事に対する「官僚支配」という批判は、「健全財政」を志向し、郵貯縮小化を長年目指し続けてきた財務省と、少しでも多くの予算獲得を目指す他省庁では、全く考え方が正反対であるということを考慮していない。「官VS民」という単純な構図を描いての批判は国民にとっては分かりやすいが、この人事が何を意図しているのかを全く伝えていないのではないだろうか。

政権が果たせなかった大きな約束がある。自民党長期政権を経て築き上げられた既得権益の実態を白日の下にさらし、それにメスを入れ、国民の目に見える意思決定の仕組みを新たに作り上げる、というものだ。

 鳩山政権はそのためにいくつかの舞台装置をこしらえた。政府税制調査会はその代表だ。自民党政権時代の不透明な「党主導」の税制改正から脱却しようと党税調を廃止し、意思決定を政府税調に一本化する画期的な構想だ。新生税調のメンバーは、かつてのような有識者ではなくすべて政治家である。大臣、副大臣政務官ら政府の幹部で構成し、事業仕分けと同様に、議論の過程が国民に見えるよう、全体会合の模様はインターネットで公開した。

 しかし、残念な結果に終わった。メンバーはそれぞれ代表する省の主張を訴え、意見がしばしば対立、調整は非公開の場に委ねられた。
(中略)
結局、民主党、特に小沢一郎幹事長の采配(さいはい)を仰いだ。小沢氏が最終局面で「暫定税率の維持」「子ども手当への所得制限」など党の要望を政府に突きつけ、存在感を印象付けたが、「真の主役」であるはずの政府税調が、難題を自ら解決できなかったところに最大の責任がある。猛省が必要だ。