政治を読み解くのは、権謀術策か、まごころか
総選挙翌朝の新聞、鳩山さんたちの発言の取り上げ方に、おどろいた。
今回たまたま、新聞記事の元ねたになる発言を、TV中継で観ていたわけだけれど、
たとえばNHKTVのインタビュー。こういう考え方もあるけれど、まだまったく決めていない・・・という語り口だったのだが、
紙面では
「こういう考え方」と語った。その方向で進むようだ・・・と書かれている。
政治関連の観測記事って、いつもこの程度の書かれ方をしているのだろうか。
それとも、政治的発言って、語り口はどうあれ、こういう意味合いを帯びているのだろうか。
まるでなんだか、北朝鮮のちょっとした動向の変化から、意味を汲み取ろうとしているみたい。
佐藤栄作さんが、首相退陣時の記者会見で新聞を締め出した気持ちが、わかるような気がする・・・。
誰がどんなポストについて、
誰と誰が脚の引っ張り合いをやって、
・・・そんなことは、どうでもいい。
政治報道において、ほんとうに僕が知りたいのは、
どんな意欲のもとに、どんな使命感を抱いて、どんな社会を実現しようとしているのか。
実のところ、それこそが政治を動かす原動力なのではなかろうか。
今回、いろんな政治家が、記者の質問にこう応えていたのが耳に残った。
「そういうところで、私は動いているのではない」
政治報道の貧しさが、日本を殺伐とした貧しい社会にしているのかもしれない。
と思っていたら、こんな論評も。
福祉の仕事をしている人々は貧しいが、その福祉職場に企業を退職した人が再就職するケースが増えている。逆に、これまで企業就労の壁が厚かった知的障害者が、日本を代表する大企業で働くのも珍しくなくなってきた。1部上場企業を対象にしたアンケートでは、一般社員の働く意欲を刺激し、企業ブランドを高めるのに障害者雇用の効果があると考えている企業が多かった。
大手金融機関の役員にはこう言われた。「高賃金やポストだけでは社員のやる気を維持できなくなった。何のために働いているのか、社会の役に立っているのか、と根源的なところに社員が目を向けるようになってきた」
(中略)
多様なライフスタイルや価値観を尊び、失敗しても何度でも挑戦できる「複線型の成熟モデル」を志向するマグマが、官僚に支えられた自民党長期政権を押し流したように思える。
民主党政権は官僚支配を変えられるのか、財源は本当にあるのか、消費税に4年手を付けずにどうやって公約を実現していくのか。危ぶむ声も少なくないが、成熟社会の価値観を後押しする政治を追求する限り、国民の忍耐と寛容は付いてくるのではないかと思う。
こういう記事を、僕は読みたい。
世界はすでに相当、おもしろくなっている。「神はあらゆる場所に同時に存在できるという意味のオムニプレゼントだといわれるが、人間はインターネットでそれができるようになった」
人間が神と並んだってことですかと聞いたら、「むしろ私たちが神」と答えた。
「有名人でもなく、お金もないけど、平和のためにどうすればいい?」と聞かれると、こう答えることにしている。「自分の好きな人に愛していると言ってください。自分の世界、生活を大事にしてください」
変わらないな、と思った。オノさんは29年前、狂信的なファンの銃弾でレノンさんを失った。約1カ月後、手紙が新聞に掲載された。
<もし何か意義のある「仕返し」があるとすれば 愛と信頼に基礎を置く社会に方向転換させることだと思います。(略)それぞれ一人の人を愛するだけでよいのです。愛は愛を生んでいきます。そうなれば、お互いが暴力に走るのを避けることができるでしょう。暴力は武器にあるのではなく、私たちの心の中にあるものなのですから>
オノさんが目を輝かせて波の話を始めた。「2人の科学者が研究した。小石を投げ込んだり、波打ち際で子供がポチャポチャ遊んだだけで、世界中の海に伝わるという結論が出た。あなたの考えや発言は世界に影響するんです。すごいでしょ?」
「この複雑な社会では一人の英雄では解決できない。一人一人ができるだけの勇気を持ち、ほんの少しいいことをしたら、世界は美しくなる」