現実を、動かす
”マスクに意義が無い”と言われると、なぜ、過敏に反応なさるのか。
”新型ウイルス”と言われると、過敏に恐れてしまい、
”水際作戦実行中”と言われると、過剰に安心してしまい、
”近県で感染者”と報道されると、過敏な問い合わせが殺到する。
それらと、おなじメンタリティーから来ているのではないでしょうか。
このことについて、違う角度から書いてみたい。
- 水際作戦には、とても効果がある。
- 水際作戦には、まったく効果が無い。
- 水際作戦は、逆効果だ。
どれも、同時に真実で、あり得ます。
そして、私という一人の人間が、どの立場に立って論を進めることも出来ます。
どの立場に立って論を進めることも出来・・・なければいけない。
たとえば、お医者さんが患者を診るとき。
人体は複雑です。なにが起きているのか、なかなか正確にはわからない。
一方で、病状はどんどん進行していきます。最善手を、的確に打たなければいけない。
で、どうされるか。
まず、いろんな可能性を、思い浮かべるそうです。
- Aかもしれない
- Bかもしれない
- Cかもしれない
その上で、
- 可能性の高い低い
- 重篤な状況に至るか否か
- 他が真因だったとき、悪影響を小さく出来るか
といったことを考慮しながら、治療方針を決めるそうです。
もし、ありうる可能性をきちんと思い浮かべきれなければ・・・症状を悪化させかねない。
機械を直すときも、おんなじです。
思いつく限りの仮説を立てた上で、検証しつつ作業を進めます。
見落としがあると、真因にたどり着けなかったり、状況を悪化させたり。
経済学者も、政治家も、経営者も、そうでしょう。
だから、まず、いろんな立場に実際立って、物事を眺めてみる必要がある。
その上で、暫定的に、ある説を選んで、動き始める。
これは、現実を責任もって動かすためには、必須のスキル。当然の前提。
当然の前提なんですけれど、このスキルが身についておられないひとも、ごくまれにいらっしゃるようで。
学校で、学んだはずなんだけどなぁ・・・。
身についておられないひとは、
- 立場=人格 という勘違いをなさりやすい
- 立場の妥当性を、文脈と結びつけて判断できない
- ひとつの立場に執着しがち
言葉で、真実なんて表しきれません。
だから、いろんな角度から、眺めてみる必要がある。
- マスクには意義がある。そして、意義が無い。
- 新型インフルエンザは、恐ろしい。そして、恐るるに足りない。
- 水際作戦は、意義深い。そして、逆効果。
- 近県で感染者発生は、脅威。そして、なにも変わらない。
自分自身で、両面観ておく。
そして、実データと照らし合わせながら、行動を選び、随時修正していくことが大切なのではないでしょうか。