ほんとの安心は、正確な現状認識と、情報共有と、見識から生まれる

手洗い・洗顔・咳エチケット。
医療関係者ではない僕たちがすべきことは、この3つ。







以下、リスクマネジメントのあるべき姿・・・という観点から、感じるところをメモ。

 神戸での高校生で見つかったH1N1インフルエンザは、診察したドクターが、地方衛生研究所に検体の分析を依頼したから分かった訳であり、依頼してなかったら、今だに水際作戦大成功中だったはずだ。
(中略)
今が、国内で感染が始まった発生初期である保証はないと言うことだ。
 にも関わらず行動計画に従って、「発生初期における早期対応」をなぞってゆくのはおかしいのだ。神戸のドクターが検査を依頼してなかったら、まだ発生初期ではなかったろうし、今月初旬、または先月中旬、神戸のドクターと同じく、どこかのドクターがA型インフルエンザ患者の検体を地方衛生研究所に分析を頼み、その地方衛生研究所が快く引き受けていたなら、既に発生初期は通り越していた可能性だってあるのだ。
(中略)
  発熱しない軽症型の感染者も多いのだ。無症状感染者も結構いるのだ。
  真剣に、医科学的判断に基づいて対策を考えませんか?
  海外からも取材される程の先進的対策を。

水際作戦やってると、”安心”そうな雰囲気をつくれるからなんだろうなぁ・・・。
一方で、日本国内で季節はずれの流行が続くA型インフルエンザが、新型だとわかってしまったら。パニックが起きるかもしれない。関係者が非難されるかもしれない。だから・・・積極的にPCR検査にかける気には、なかなかなれないかも。
でも、”安全”をほんとに求めるなら。

4月末に、初めて豚インフルエンザのことが知れたころ、友人が京都の小学校では”季節はずれの”A型インフルエンザが吹き荒れていて、学級閉鎖になるくらいだと、言っていました。”豚じゃないA型だけど”と友人は言っていましたが、PCRをしていないと、そのようなことはわかるはずもなく、きっとこれまでも普通のA型として、治療されていた例は、多数あると思っています。
パニックにならず、といいますが、日本の行政の対応は、わざわざパニックを作っているようにも。

PCR検査が準備できた段階で、すぐ、
国内にすでに拡がっていないのか、サンプリング調査をすべきだった。


不安なとき、現実を見据えるのは怖い。
”安心”したがると、事実を正確に見なくなる。
しかし、ほんとは。
なにが起きているのか正確に認識すれば、半ば解決したも同然。効果的な対策を見つけられる。


検体の分析を依頼した、神戸のドクターは素晴らしい。
おかげで、大阪でも”検体を分析してみよう”という気になって、茨木の感染がみつかった。
たぶんこの先、”正確な状況”が、どんどん判ってくるだろう。

 岡山県が、病院でインフルのA型と診断された人に、渡航歴に関係なく「新型」検査をするとのことです。
(中略)
 幕末の頃に近いですね、と僕は電話で話した。
 国の、後手後手対策と、非科学的発想(専門家が中心となっていない国の対策なのでしょうが)から離れて、各地域で科学的根拠に基づいた対策が始められている。
 各自治体には格差が見られ、僕の思うところでは、幕末の状況と同じ感じがする。
 西日本から改革の機運が盛り上がり、東日本は江戸幕府に追従するだけだった。
 九州、山陽地方は主体的取り組みが始まっている。

政治の中心から遠い分、”お上の言うとおり”ではない主体性は、西日本のほうが強いのかもしれない。

 相変わらず気分の悪いメールが入る。
 マスクの話。(これはしつこい)
 企業関係者と思われる人々から、自分たちは一生懸命BCPに沿って対策を強化しているのに、水を差すようなことは言わないで欲しい。
 このウエブは害毒だ、とまで言ってきた関係者もいる。IPアドレスから、それはどの企業か分かる場合もある。


 各企業関係者が張り切っているのは良いのだけど、公衆衛生学的論争を一般の人とする気はない。相手は十分医学的と思ってはいるようだけど。
 逆に医療関係者は支援のメールをよこす。
 またメールや電話で報道各社の若手記者から多くの質問が入る。多くの記者は、この日記をみているようだ。僕のマスコミ批判の毒舌にも負けずに、電話をしてくる人も結構いる。またメールで支援してくれる記者さんもいる。
 行政関係者、保健所関係者、海外邦人、外務省関係のドクター、等からも支援のメールが入っている。

戦前のように、政治の中心と、経済の中心が分かれていたなら。
もっと日本企業は、主体的・合理的判断をして、動くようになっていたんじゃなかろうか。


もうひとつは、日本における”理系と文系の断絶”があるかもしれない。
日本のものづくりが世界一になったのは、

  • 現状を正確に把握し、
  • あるべき姿を描き、
  • データに基づいた気付きと対策を繰り返し積み重ねることを、
  • 全員参加でやってきた

からだ。
それを欧米が取り入れて”マネジメントシステム”にし、国際規格にした。


さて、そのマネジメントシステムを、日本に逆輸入するにあたって、
製造系のひとには当たり前のこのやり方が
事務・企画系のひとにまったく浸透していない
・・・という齟齬が、多くの組織で発生しているように見える。


”実社会を、具体的に、より良く動かしていく”ための仕組みや文化が、文系職種に確立されていないから、
”無難に、大過なく、責められないように”動こうとしてしまうのではなかろうか。


でも、
”現状を正確に把握し、社会で共有する”ことに人生をかけてる記者さんや、
”あるべき姿を描き、現実をよりよく動かす”ことに人生をかけてる行政関係者さんは、
どういうあり方で、情報を集め・行動すればよいのか、熟知しておられる・・・ということなのではないだろうか。



お上が、”まる”を”四角”だと言ったときに。
安易に安心したい人が、”まる”を”四角”だと思い込みたいときに。
「んなこと言ったって、まるは、まるだ。」
と、観・言い・聴くひとが増えれば増えるほど、
ほんとの安心が創造されるのでは無いだろうか。