いじめは、なぜ起こるか

 最悪の事態になっています。知っていますか?


 こういう事態が起きる国って、日本くらいではないだろうか?
 行政も責任はあるが、マスコミも正しい事実を伝え続ける必要がある。
 非常に残念だ。
 今日、米国のアリゾナで死者が出た。保健局の責任者が言っている。
 感染症の克服には、市民の協調が必要だと。
 根拠なき、非科学的判断に基づいたいじめの発想で、無垢の生徒達をいじめるべきではない。
 恥ずかしい先進国だ。

カナダで高校生が感染したことについて、理不尽な抗議電話が殺到しているそうな。
やれやれ・・・。


そんなことをする愚か者は、たぶん、1000人にひとり程度だろう。
けれど、10万人の街なら、100人。
業務が妨害されるには、十分な数だ。


モンスターペアレントも、そう。
クレーマーも、そう。
ごく少数の不心得もののために、どれだけの迷惑を、社会がこうむっていることか。
たとえば。
私の勤務先に、お客様からいただくご指摘の99%以上は、善意のご指摘だ。
貴重な時間を割き、お手数もかけて、「こういう事象が起きていると、知らせておいたほうがよいとおもって」と、わざわざご連絡をくださる。
その際、”クレーマーではない””ゆすり・たかりではない”ということを表現されるために、実にたくさんのエネルギーを使われる。
誤解されるのが嫌で、ご連絡くださらないかたも、その数十倍おられるかもしれない。
もし、1000人にひとりの不心得者が居なければ。理不尽な主張や要求をする不心得ものが居なければ。もっとたくさんの情報が、迅速に集まるだろう。ぐっとスムースに、やり取りを進めることができるだろう。

 こういう事態が起きるのはどうしてでしょうか?
 考えて見ませんか?
 僕はこういう事態が起きると、この日記を書く気力はなくなるのですが、あくまでも自分の日記として記録しているので、公開は止めようかとも、最近、考え出しています。


 ニュージーランドでも、米国のニューヨークでも修学旅行生が感染しています。そして短期間ではありますが、ニューヨークでの高校は閉鎖されています。
 しかし保護者も生徒の間にも何も問題は起きていません。

たとえば、”魔女狩り”の恐ろしさを、社会がしっかり記憶しているからかもしれません。だから、”自分たちが犯しうる過ち”として見据え、民主主義という社会システムを構築し、自立した市民というあり方を教育してきた。


一方、日本では、ハンセン病・鬼畜米英・身分制度などなど、数々の過ちがあったのに、それを忘れ去ろうとしてしまう。
”私が、悪いわけではない”
”誰かが、私を安心させてくれるべきだ”
”安心が揺らぐのは、誰か悪者が居るからだ”
・・・こうして、安易に安心しようとする。
 ↓
自分の足で立っていない=他人次第で安心を左右される
 ↓
ストレスが溜まる。
 ↓
ストレスを発散するため、誰かを悪者にして責めたてる
 ↓
ひとときの気晴らしにはなるが、ますます”私の安心、他人次第”になる。
 ↓
悪循環・・・

 どうすればいいのででょうね。
 対策を考えなければ、今冬に大流行したとき、もっとひどい社会的パニックが発生し、いじめ事件が多発するかもしれません。
 でもインフルエンザは誰でも容易に感染するものです。
 今日、いじめの電話や書き込みをしている人たちも、いつかは知らないうちにインフルエンザウイルスに感染します。そうしたとき犯罪者呼ばわりされたいのでしょうか?

たぶん大丈夫。
むしろ、1000人にひとりの不心得者が、目を覚まして自立する機会になるかもしれません。


他人に安心させてもらうことなんて、できない。
自分自身が、ありのまま正確に現実を見、自分に出来る最善を尽くすしかない。
それは、実際に危機に直面して、切り抜けてこそわかることなのかもしれません。